松本純の国政奮戦記2025-05

2025(令和7)年5月

トップへ 奮戦記目次へ 前月のページへ 今日の予定・昨日の動き 次月のページへ 「松本純レポート」5月号

5/4訪台 5/9親授式・天皇陛下より旭日大綬章授与

512()曇り

0900〜【事務】日程確認・打合せ/野毛事務所

●終日〜【事務】海外視察資料整理/野毛事務所

1500〜【政務】参院選対策打合せ/野毛事務所

夏の参議院選挙に向けた支援体制づくりについて打合せが行われました。

1500〜【政務】吉田町町内会・名店街会役員会・市況研究会/吉田町町内会館

吉田町町内会・名店街会役員会・市況研究会が吉田町町内会館で開かれ代理出席しました。定刻前に吉田町総会が行われ全ての議案が承認されました。続いて吉田町町内会・荒井浩会長に促され松本純事務所から松本近況と旭日大綬章の栄に浴した事を報告し、天皇陛下より勲章を授与された旨をお伝えしました。また近々における野毛街づくり会役員改正後は新たに松本が街づくり会会長の職責を担って行くこともご報告しました。そして、松本の後継者として新たに自民党神奈川1区支部長に承認された丸尾なつ子さんをご紹介いたしました。丸尾さんは挨拶の中で松本純の後継者として地域の絆を大切に国政に臨んでいく思いをお伝えしました。(秘書森報告)

1800〜【政務】政務懇談会/市内

平成8年の国政選挙初戦からお手伝いいただいてきた地元建設企業OBと久しぶりにお目にかかり、これからの横浜都市づくりについて、将来に向けた構想についてご意見をいただきました。


511()曇り

●終日〜海外出張写真の整理/野毛事務所

1200〜【政務】令和7年度野毛地区連合青年会総会・懇親会/ルリエ横浜宮川町

【総会】

【懇親会】

令和7年度野毛地区連合青年会総会・懇親会がルリエ宮川町2Fホールで開催され松本純が出席しました。同会・河本泰繁会長より「昨年、会長に就任して50周年という大きなイベントを無事終えることが出来ました。皆様方のおかげです。ありがとうございました。また昨年は日ノ出町青年会さんも50周年、本町小学校さんは120周年と沢山の会に呼ばれましてギュと詰まった1年でした。今年51年目を迎えて新たな気持ちでやって参ります。ご協力よろしくお願いします」と挨拶されました。総会では議案全てが承認された後、伊勢佐木警察署より5月より改正された神奈川県迷惑防止条例による歓楽街での取り締まりについて報告が行われました。続いて懇親会となり、改めて河本会長より総会での議案が全て承認された報告がなされ、懇親会では更なる親睦を深めていただきたいとの挨拶がありました。続いて松本研市議の乾杯の発声で歓談となりました。

歓談の中、来賓挨拶となり第1北部地区連合町内会・神田信男会長より挨拶が行われ、松本純氏が旭日大綬章の栄に浴された報告がなされました。神田会長や連青・河本会長に促され、松本純よりさる9日、天皇陛下より旭日大綬章をいただいた旨を報告した後、国政選挙からは引退を表明し、自身の後継者となる丸尾なつ子さんが承認されたことをお伝えしました。そしてこれまで国政に携わり多くの方々にご支援ご協力をいただいたご恩に報いた活動を行って行くとの挨拶を申し上げました。続いて来賓者挨拶が順次行われました。また歓談の中、新たに野毛地区連合青年会員になられた三橋やしまさん、三橋みなとさん、山下柊哉さん、諏訪太一さん、野村良太さんが出席された方々のテーブルを回りご挨拶をされていました。(秘書森報告)


510()雨のち曇り

●終日〜海外出張写真の整理/野毛事務所

0900〜【事務】日程確認・打合せ/野毛事務所

1100〜【政務】根岸八幡神社令和7年度崇敬会大祭式典/根岸八幡神社

根岸八幡神社令和7年度崇敬会大祭式典が同神社本堂にて斉行されました。崇敬会は根岸八幡神社御鎮座1440根岸を記念して結成され、大祭式では会員の家内安全、諸願成就、交通安全、厄除開運が祈願されます。同神社・宮崎常嘉宮司による神事が執り行われ、お招きいただいた松本純は崇敬会代表役員の方々に続いて玉串を奉納し崇敬会員の方々のご健勝と地域安寧を祈願いたしました。会員の方々が玉串奉納された後、宮崎宮司より大祭式が滞りなく終了した旨と崇敬会員の方々へのご繁栄が述べられました。(秘書森報告)

1900〜【政務】日ノ出町青年会総会及び懇親会/日ノ出町町内会館

日ノ出町青年会総会及び懇談会が日ノ出町町内会館で開催され、総会後の懇親会に松本純がお招きいただきました。同会・高木克之会長より「本日、無事に日ノ出町青年会の総会議案が全て承認されましたことをご報告申し上げます。最近、私たちの行事も多くなり皆さまのお手を借りることも多くなって来ました。その様なことで皆さまとの懇親を深めたいと思いささやかですが懇親会をご用意しました」と挨拶されました。続いて日ノ出町町内会・一之瀬成和副会長の乾杯の発声で歓談となりました。
歓談の中、来賓挨拶となり松本より同会総会及び懇談会開催のお喜びを申し上げ昨日、国内で日本人12名が旭日大綬章の勲章を天皇陛下から授与されたこてを報告いたしました。また役員改正に伴い野毛地区街づくり会の活動にも取組んでいく旨をお伝えし日ノ出町を含め街づくり会として近隣町内会と連携を深め地元に貢献して行く決意を申し上げました。続いて国政選挙からへの引退により自身の後継者として自民党神奈川1区支部長に承認された丸尾なつ子さんを皆さんに紹介いたしました。丸尾さんより自民党神奈川1区支部長に承認され、これから支部長として活動して行く決意が述べられました。(秘書森報告)

1930〜【政務】町屋睦例会/町屋第2町内会館

町屋睦例会が町屋町内会館で開かれ代理出席しました。お招きいただいていた他の会合から急ぎ駆けつけたのですが例会での協議事項は終了し歓談となっていました。黒川まさる市議も他の所用から駆けつけ、同会・酒井雅弘会長に促された黒川市議は、自民党神奈川1区の県市議と松本純との後継者問題協議を報告され丸尾なつ子さんを松本後継者として承認し、新たな自民党神奈川1区支部長として党本部に承認された事を報告されました。また今夏行われる横浜市長選挙での自民党横浜市連としての対応について説明がなされました。
松本事務所からは活動報告と昨日、松本か旭日大綬章を天皇陛下より授与された旨をお伝えし自民党神奈川1区支部長として活動する丸尾さんをご紹介いたしました。続いて丸尾さんより松本純後継者として1区県市議と松本からの支援と指導のもと地域の皆さんとの絆を大切に国政に臨む決意が述べられました。(秘書森報告)


59()曇り 天皇陛下より旭日大綬章を授与

0900〜【事務】日程確認・打合せ/野毛事務所

1030〜【政務】令和7年春の叙勲大綬章等勲章親授式/皇居宮殿「松の間」

皇居宮殿内での写真撮影は禁止されています。しかし、外での受章者同士による写真撮影については厳しい決まりはありません。そこで受章者皆様との記念写真の合間に携帯電話で自撮りなどを駆使して 人生最大の思い出の一場面を記録しました。

親授式を終えて、受章の皆さんは着付けなどお手伝いいただいたホテルに戻り、個別の写真撮影などが行われました。

天皇陛下から旭日大綬章とおことばをいただきました

 この度2025年春の叙勲(令和7429日発令)において、旭日大綬章受章の栄に浴しました。身に余る光栄と感激いたしております。これも皆様の長きにわたるご指導、ご支援の賜物と衷心より感謝申し上げる次第です。

 受章の理由は「多年にわたり国会議員として議案審議の重責を果たすとともに、国家公安委員会委員長等として国政の枢機に参画した」と記されております。

 平成8年の初当選以来7期、落選期間を含め足掛け28年を国政に捧げてまいりました。その間、政府においては国家公安委員会委員長、領土問題担当大臣、国土強靭化担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災)(消費者及び食品安全)(海洋政策)など危機管理を一手に担当するほか、内閣官房副長官、総務大臣政務官、衆議院では厚生労働委員長等を拝命し、全力で職責を全うしました。そのことが受章につながったのであれば、これほど嬉しいことはありません。

 59日、勲章親授式のため妻・真純とともに皇居に参内しました。親授式は午前10時半から皇居・宮殿の「松の間」で行われ、天皇陛下より一人ひとりに勲章が下賜されました。一度控室に入り、拝受した勲章を身に着けて再び松の間に入室し、陛下に拝謁を賜りました。受章者を代表して大島理森・元衆院議長が「それぞれの分野において、一層精進を重ねる決意でございます」と挨拶を述べ、これに対し陛下は「長年それぞれの務めに励まれ、国や社会、また人々のために尽くしてこられたことに対し、深く感謝いたします」と述べられました。トーマス・バッハIOC会長ら外国人の受章者には英語でのお言葉を贈られました。私も陛下より直々に「ありがとう」と感謝のお言葉をいただき、改めて受章の重みを受け止めました。その後、宮殿・東庭で記念撮影に臨み、親授式は無事に終了しました。

 今回の受章は、人に頼まれたこと、相談されたことには全力で応えるとの姿勢で取り組むことが出来たからであり、それは私を支えてくださった全ての皆様のおかげです。学生時代の恩師や級友にはじまり、温かく、時には厳しく叱咤激励くださった地元横浜の皆様、社会保障制度の改革に議論を交わし、共に闘った企業・団体の皆様、日本の未来のために知恵を絞り続けてきた市会、県会、国会議員の仲間たち、日本全国から大きな激励をいただいてきたことは決して忘れません。

 これからも皆様への感謝を忘れずに、更なる努力、精進を重ね、ご恩返しをして参る所存です。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

「松本純レポート」5月号 https://jun.or.jp/kawaraban20250501-265JunRepo-005.pdf

松本純の政治活動の「あゆみ」 https://jun.or.jp/vision/ayumi.htm

 

●1330〜麻生太郎会長に親授式ご報告/都内

今日の親授式の様子を麻生太郎会長にご報告しました。


58()晴れ時々曇り

0900〜【事務】日程確認・打合せ/野毛事務所

1200〜【政務】志公会例会/志公会事務所

大型連休後、初めての志公会例会が志公会事務所で開かれました。麻生太郎会長から都議選告示まで1ヶ月余り、参院選公示まで2ヶ月を切り選挙モードに突入していくことになるため候補予定者は当然のことだが、関係全ての人が準備に万全を期していくこと。通常国会においては山積する課題が数多くあり、トランプ大統領による関税措置に対し交渉が進められる中、オールジャパンで、取り組み一つ一つに対応し結論を得る努力を続けねばならないとの趣旨の挨拶が述べられ、引き続き事務連絡がなされました。(秘書森報告)

1800〜【政務】医療制度懇談会/都内

日本薬剤師会幹部との情報交換、意見交換が行われました。目まぐるしく変わろうとしている医療制度の在り方についてのフリートーキングが中心になりました。


57()晴れ曇り一時雨

0900〜【事務】日程確認・打合せ/野毛事務所

1400〜【政務】自民党神奈川1区支部打合せ/野毛事務所

松本純の後継者、丸尾なつ子新支部長と今後の取り組みについて打合せが行われました。 スタートするにあたり課題は山積、今までの人生観や価値観から大きな変化に挑戦していかなければならないならない厳しい選択をしたのですから、当然のことでしょう。一つひとつの課題を丁寧に解決する努力が求められます。全力で支えていきたい。(純)

●1800〜【政務】若手国会議員懇談会/都内

国対内の動きについて勉強しました。


56()曇り一時雨 振替休日

[国内]

日程なし

[海外出張]

●台湾出張 3日目(最終日)

56日(火)曇り時々小雨
0830〜内政部・劉世芳部長面会/内政部貴賓室

内政部、劉世芳部長と面談をして参りました。内政部は日本の省庁に例えると総務省にあたります。今回は特に災害対応に関して意見交換を行いました。台湾内政部では大地震などに備えて社会全体防衛強靭化委員会を組織しており次の5つの役割を担っている。
1,民力の訓練と運用
 ・各民間防衛要員の役割の対応力を徐々に強化
 ・将来的には中レベルの対応力を約5060万人に高める
2,物資の整備と生活維持の運送システム
 ・国民の基本的な生活ニーズの維持
 ・食料や生活に不可欠な物資の安全供給の確保
 ・「戦略物資の調達・生活維持の運送仕組み」の構築
3,エネルギーと主なインフラの確保
 ・主なインフラ施設の確保
 ・電力や電力供給に必要なエネルギーの確保
 ・主なライフライン、軍事作戦力、政府事業の継続
4,社会福祉医療ネットワークと避難施設
 ・緊急事態において兵士、民間人、負傷者が有効なケアを継続的に受けられるようにする
5,情報通信・運送と金融ネットワークの確保
 ・主な情報通信、運送、金融機能の強靭化
 ・信頼できる通信プラットフォームの構築
 ・政府の継続的な運営
 ・軍事と情報通信の支援
話を伺って感じたことは台湾は支援サービス法があり災害発生時に民間団体を積極的に活用して自分たちのコミュニティは自分たちで守ることを基本としている。自分たちで守れないと判断したときに県や、市に頼るとのこと。
災害発生時に民間団体は人の派遣は勿論のこと、被災者に対して資金援助もするという。
日本では政府が激甚災害指定をしなければ補助、助成が受けられないが台湾は災害発生時に民間団体が行える点に法律の違いを感じた。
いずれにせよ日本、台湾は大規模地震が多く発生する地域であり、これからも両国で過去の震災対応の情報交換を含めて連携をしていくことを確認した。(秘書白石報告)

1000〜外交部・陳立国常務次長面会/外交部会議室

外交部、陳立国常務次長と面会をし日本と台湾国内のそれぞれの状況について意見交換をしました。松本からは「神奈川県内で各地区において地方議員がメインとなり日華の議連を立ち上げているが、まだ数が少ないので、これからもっと増やして両国の議員外交を積極的に展開できればと考えている」と述べました。陳常務次長はTSMCの件で日本の手助けがなければサプライチェーンになれなかった。これから国会議員、政府関係者、企業、若い方達にもっと台湾にお出でいただき交流を深められればと述べられました。(秘書白石報告)

1130〜最後の昼食会/京鼎耬

昼食は京鼎耬に伺いました。ここの名物は小籠包で入店すると職人さんたちが小籠包を包んでいる様子を見ることが出来ます。店内は1階と地下があります。日本では見かけないシジミの醤油漬けが絶品でお勧めです。ウーロン茶小籠包、スープに付けて食べる小籠包などを食しました。(秘書白石報告)

1300〜忠烈祠〜LaLaport南港視察

昼食後、まず忠烈祠を見学してまいりました。ここは抗日戦争や共産党軍との戦いで国民党政府のために戦死した約33万人の英霊を祀り1969年に創建。廟は軍管理下にあり公開時間内は正時ごとに正門の衛兵の交代式があります。忠烈祠を後にしてオープンしたばかりのLaLaport南港へ行ってまいりました。日本にあるLaLaportはショッピングモールのタイプが主流ですが、こちらは高層ビルの中にあり日本の有名企業も多数、出展していました。ロピア、ユニクロ、無印良品、ニトリ、ダイソー、ABCマートなど。(秘書白石報告)

1445〜衛生福利部・呂建徳政務次長面会/衛生福利部会議室

日本の厚労省にあたる衛生福利部・呂健徳次長と面会をし台湾国内の医療保険制度などに関して意見交換をしてまいりました。松本からは日本の国民皆保険制度の話をし台湾の医療保険制度に関してヒアリングをしたところ次の様に回答があった。健康保険省が毎月の給与から保険料を徴収するとのこと。年齢を問わず赤ちゃんから高齢者の方まで支払うが金額はそれぞれに分類されている。60歳以上は県や市から補助があり月額4,400円の保険料徴収。台湾の1年間の医療費は約4兆円であり日本は約47兆円(令和4年度)台湾国民の90%は政府の医療保険制度に関して満足をしているとのこと。今後もお互いに情報交換をして協力する旨を確認し面会は終了した。(秘書白石報告)

1805〜松山空港出発/C1222

すべての日程を終了し後は飛行機の出発を待つだけ。駆け足のあっという間の3日間でしたが多くの皆様との交流が出来ました。サポートしていただいた各部署の皆様に感謝申し上げます。神奈川県日華親善協会会長としてさらに尽力して参りたいと存じます。

2205(日本時間)〜羽田空港到着

全日程を終了し、無事に帰国しました。お世話になった皆様に感謝でいっぱいです。ありがとう!


55()晴れ時々曇り こどもの日

[国内]

■1100〜【政務】横浜成田山春の例大祭大本山成田山貫首岸田照泰大僧正御巡錫特別大護摩供奉修/横浜成田山本堂

横浜成田山春の例大祭大本山貫首岸田照泰大僧正御巡錫特別大護摩供奉修が横浜成田山本堂にて執り行われ、お招きいただいた松本純の代理として出席しました。真純夫人も野毛2丁目町内会長として地元町内会の方々と共に参列されました。本堂にて大本山成田山貫首・岸田照泰大僧正による横浜成田山開創百五十五年春の例大祭特別大護摩供奉修が行われました。大護摩供奉修後は岸田大僧正より挨拶がなされ、続いて委嘱状授与、洒水が行われました。続いて横浜成田山・筒井照琢主監より横浜成田山開創百五十五年の例大祭に参列された方々に謝意が述べられ、引き続きクラウドファンディングを含め海員追悼之碑再建事業、バリアフリー化の寺として表参道エレベーター設置計画の事業継続の報告が述べられました。例大祭後は記念撮影が行われました。(秘書森報告)

[海外出張]

台湾出張 2日目

55日(月)曇り

0800〜日本台湾交流協会との朝食懇談会/ホテルロイヤルニッコー・タイペイ

日本台湾交流協会との朝食会がホテルロイヤルニッコー・タイペイで開催され最近の日台関係と台湾情勢に関してヒアリングを行いました。ヒアリング内容は台湾内政、日台関係、対外関係、経済関係などです。(秘書白石報告)

1030D.SIGNAL視察/国立バイオセンター

最先端の幹細胞治療の培養などを視察するためにDr.SIGNALを訪問しました。Dr.SIGNALは世界をリードして自動細胞生産ラインの構築とCDMOサービスの提供を主なビジネスモデルとするバイオテクノロジー企業で秘心吾博士から幹細胞治療培養の説明を受けた後、白衣に着替えてラボの中に入り幹細胞の培養工程を実際に見学しました。現在、認められている幹細胞は歯槽骨(歯の骨)であり培養システムにセットすると6週間後に完成し注射をすることによって自然に固まるとのこと。インプラントが出来なかった患者さんがこの幹細胞で歯槽骨が蘇りインプラントが出来るようになるとのことです。(秘書白石報告)

1220〜昼食懇談会/種福園本店

昼食は北方料理、瀋陽地方の家庭の味が堪能できるレストラン種福園本店にお邪魔しました。日台関係についてお話をいただいたのは陳宗彦元政府報道官です。中華風のもちもちとしたクレープに牛肉と豆干の炒め物などを乗せて巻いて食べる料理を堪能しました。店内もカジュアルな雰囲気で入りやすいお店でした。(秘書白石報告)

1500〜簫美琴台湾副総統謁見/台湾総統府

自民党台湾訪問団(団長・西村康稔衆議院議員、田中和徳衆議院議員)の一員として簫美琴台湾副総統に謁見して参りました(松本純は神奈川県日華親善協会会長として参加)。
松本は簫副総統に対して自己紹介をさせていただき「横浜中華街を中心とする神奈川県日華親善協会の会長を仰せつかっています。生まれて75年、約30年の議員生活を終えたところです。残された人生を台湾の方との交流を活発にするべく精進してまいりたい」と述べました。

以下、台湾総統府公式文(翻訳)
5日午後、簫美琴副総統は、西村康稔元経済産業大臣と会談し、日本政府が地域の平和と安定に配慮していることに感謝の意を表しました。西村元大臣は、また地域の平和、安定、安全、繁栄は台湾と日本の長期的な共通の利益であると述べた。また、今後も引き続き協力を行い、投資や経済などの様々な分野で二国間関係を深めていきたいと考えています。
副総統はスピーチの中で本日、総統官邸に多くの新旧の友人を迎えることができて大変うれしく思うとともに、台湾に対する自民党訪問団の長期的な関心と支援、そして長期的な友情に感謝したと述べました。
副総統は、また代表団が昨日、高雄に行き、安倍元首相の銅像に敬意を表したと述べました。安倍元首相はかつて「台湾に何か問題があるとすれば、日本にも問題がある」と提唱し、台湾と日本の全面的な関係に非常に具体的な貢献をしており、多くの台湾人は今でも彼に敬意を表したいと考えています。安倍元首相の昭恵夫人も数日前に台湾を訪問した際、地域の平和、安全、繁栄が台湾と日本の長期的な共通の利益であると信じて上記の立場を繰り返した。
副総統は、最近、世界情勢にいくつかの変化が生じており、それが地域の平和と安定に影響を与えており、特に台湾海峡とその周辺状況に対する様々な侵入活動が台湾と日本の共同の注意を必要としていると指摘しました。
石破茂首相はトランプ大統領就任初期のトランプ大統領の訪米において、台湾海峡の平和と安定に対する懸念を表明し台湾海峡の一方的な現状変更の試みに特に反対を表明した。日本政府が地域の平和と安定に関心を寄せていることに感謝するとともに、台湾と日本は協力し引き続き協力していく必要があります。
副総統は、現在、経済状況にいくつかの変化があり、台湾と日本は先週も米国側と相互関税の交渉を続けており、すべてがスムーズに進み、業界と米国との協力の最大限の利益のために努力することを願っています。このような困難な時期にあっても今後も台湾と日本との協力が継続され投資や経済などの様々な分野で二国間関係が深化することを楽しみにしています。(秘書白石報告)

1610〜台湾博物館〜西門など視察

台湾博物館に見学に伺ったところ休館日と分かり残念ながら博物館前で写真だけという事になりました。その後、台北の原宿、渋谷と言えば西門と言われるくらい台湾の10代から20代の若者が多く集まるエリアを散策しました。(秘書白石報告)

1740〜頼清徳台湾総統謁見/台湾総統府

頼清徳台湾総統との謁見が総統府で行われました。
松本は自己紹介で、「今日はお招きをいただきありがとうございます。これまで安倍元総理、麻生元総理らに育てていただいてきましたが、国会議員として30年勤め上げこの度議員を引退をいたしました。しかし今後も政治活動は続け、神奈川県日華親善協会会長としての職責を全うしたい」との趣旨の挨拶を述べました。

以下、台湾総統府公式文(翻訳)
頼清徳総統は本日5日午後、西村康稔元経済産業大臣と会談し、日本政府が国際フォーラムで台湾を引き続き主張していることに感謝するとともに台湾海峡の平和と安定の重要性を改めて表明しました。西村元大臣は中国の近隣諸国へのグレーゾーンの侵入に直面して同じく第一列島線にある台湾と日本は協力を強化し共同で対応すべきだと述べた。また両国が半導体、水素エネルギー、人工知能、ドローンの分野で協力し「非赤色サプライチェーン」のレジリエンスを共同で強化し互いの発展を促進することが期待されています。
特に西村康稔議員は、安倍晋三元首相から厚い信頼を得ており、長年にわたり閣僚として要職を歴任されてきましたが今回17年ぶりの訪問となりますので台湾の進歩と発展を感じていただけると思います。田中和徳議員と副議員の方々は長年にわたり台湾と日本の地域交流を推進してきましたが今回の訪問をつうじて訪問客の台湾に対する理解を深めていただきたいと考えています。
頼総統は、ここを訪れた訪問団の多くが昨日、安倍元首相の銅像に敬意を払うために高雄に行ったと述べました。安倍元首相は「自由で開かれたインド太平洋」というビジョンを提唱する先駆者で、かつて「台湾に何か問題があるなら日本にも問題がある」と発言し台湾を勢力的に支援した。先見の明のあるマクロな国際的視野を持つ政治家であり台湾の人々の心に深く感銘を与え尊敬してきました。
頼総統は近年、中国は台湾海峡、東シナ海、南シナ海、日本海で軍事演習を続けており近隣諸国のグレーゾーンに侵入し地域の平和と安定を深刻に損なっていると述べた。台湾と日本は、自由、民主主義、人権といった普遍的価値を共有するパートナーであり海洋安全保障、社会強靭化、グレーゾーン侵入への対応における協力を強化することができればインド太平洋地域の平和と安定を確保し我々が大切にしている民主的制度を守るための抑止力を発揮できると考えています。
また頼総統は、本年の日米首脳会談、G7外相共同声明、NATO二国間会合等において台湾海峡の平和と安定の重要性を再確認し台湾海峡の現状変更のための武力の行使や威圧に反対を表明した、本年の日米首脳会談、G7外相共同声明、NATO二国間会合等において台湾に対する継続的な提言を行っていることに感謝の意を表明しました。
台湾は環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTTP)への参加に積極的に努力するだけでなく日本との経済連携協定(EPA)の早期締結を交渉し半導体、水素エネルギー、人工知能、ドローンの分野での双方の産業協力を拡大し、より緊密な経済パートナーシップを確立し「非赤色サプライチェーン」のレジリエンスを共同で強化し相互の繁栄と発展を促進すること望んでいます。
最後に頼総統は再び訪問団を歓迎し具体的な行動で台湾と日本の関係を深めたことに感謝し台湾への支持を示し、訪問の完全な成功と実りある収穫を願った。(秘書白石報告)

2030〜華南銀行・林知延副頭取との夕食懇談会/アンバーホテル

同道している佐々木紀衆議院議員のご友人である華南銀行・林知延副頭取と主に台湾国内の金融・経済及び中国、米国の相互関税に関して意見交換をしました。(秘書白石報告)


54()晴れ時々曇り みどりの日

[国内]

日程なし

[海外出張]

台湾出張 1日目

54日(日)曇り

0600〜訪問団集合/羽田空港第3ターミナル・3F出発ロビー

0755(日本時間)〜羽田空港出発/C1223

1030〜松山空港到着

松山空港に到着し、市内をバスで走り、街の様子を視察しました。

1240〜台湾日本関係協会・蘇嘉全会長昼食懇談会/ROU by T-HAM

台北松山空港に到着後、台湾日本関係協会・蘇嘉全会長とROUbyT-HAMにて昼食懇談会を行いました。その他、台湾日本関係協会・范振国(はんしんこく)秘書長(次期横浜弁事処処長予定者)、外交部・蘇定東氏、李杰宏氏、台湾日本語国際化協会・呉其哲理事長、台湾日本人会・徳光重人氏が参加され台湾、日本両国の外交、経済、農水関係の課題等に関し意見交換がなされました。(秘書白石報告)

1430〜台北市〜新北市内視察

昼食懇談会後、台北市〜新北市内を観光。淡水、華山、錦町、迪化街を散策しました。淡水は台北を流れる淡水河の河口に開けた港町で17世紀にスペイン、オランダが上陸し19世紀にはイギリス領事館が置かれるなど古くから西洋文化が入っておりその影響もあり異国情緒が漂う街でした。
迪化街はフカヒレ、からすみ等の乾物や漢方薬などの問屋街であり台北市内でも古い町並みが残る一帯でした。(秘書白石報告)

1800〜寧夏夜市〜夕食会/鶏家荘

総統府のライトアップ拝見

夕食前の時間に寧夏夜市を散策しました。台湾の伝統的な屋台料理がメインとなっており狭い通路に人が溢れんばかりの夜市でした。松本は愛玉ドリンク(愛玉ゼリー入り)と茹でた海老を頂きご満悦でした。
夜市散策後、台湾鶏料理の老舗、鶏家荘で名物の三色チキン、鶏家豆腐、チキンロール、名物のプリンなどを食しました。非常に人気の高い老舗店ですので台湾に行かれる機会がある方は是非、食してみてはいかがでしょうか。(秘書白石報告)

ホテルへ戻り明日の打合せ

明日の打合せを行い、それぞれ就寝となりました。


※5月4日〜6日海外出張
神奈川県日華親善協会会長として、また元国会議員として自民党訪問団を結成し、台湾要人との交流のため訪台します。
HPについては帰国後、更新、ご報告します。


53()晴れ時々曇り 憲法記念日

●終日〜海外出張準備

日程調整などほぼ終了しました。最終点検が行われています。


52()

0900〜【事務】日程確認・打合せ/野毛事務所

●終日〜【政務】出張準備

1100〜【地域】野毛地区街づくり会事務局打合せ/野毛事務所

1985(昭和60)年、私が35歳ころのことです。生まれ育った野毛商店街に激震が走りました。新たに創られるみなとみらい地区に鉄道が必要とのことから、東急東横線の桜木町駅が廃止され、みなとみらい地区に移設するとの提案が投げかけられ、地元野毛は「一日8万人の乗降客のある桜木町駅が無くなることは旧市街地の存亡にかかわる」との反対運動が勃発しました。そのころ野毛地区まちづくりを考える会(当時)が設立され、私は事務局のメンバーとして自分の仕事をほっぽりだし夢中になって走り回りました。

地元と横浜市と東急の合意点を探る大変難しい問題でしたが、長い時間をかけ、地元の理解を得た上で、横浜市提案の野毛地区振興策を受け入れることになったのです。各課題を実行できたか否かの確認をするため、横浜市会議員に送り込まれるということが、私の政治に関わる切っ掛けでもありました。あれから40年ほど経過し、当時提案されていた横浜市庁舎の北仲地区移転などが長い月日をかけて実現しました。街づくり運動は大変時間のかかる活動です。当初の計画はほぼ出来上がりましたが、次のステップに挑戦しなければならない時期を迎えています。

私自身が30年余りの議員活動を終了し、この先は地元に恩返しすることが大きな課題だと受止め、事務所の整理などが進められていましたが、この度、野毛地区街づくり会の活動をお手伝いして欲しいとの地元要望をいただき、微力を捧げる決断をしました。今後の取り組みべき課題や活動の在り方について今日は事務局を交えた意見交換がなされました。(純)


51()晴れ時々曇り

0900〜【事務】日程確認・打合せ/野毛事務所

●終日〜【政務】出張準備

1400〜【政務】松本純後援会顧問へご挨拶/市内

松本純後援会の顧問をお願いしている相川文五郎氏を往訪しました。私の後継者として活動を始めた丸尾なつ子氏をご紹介し、これからの取り組みについてご報告しました。(純)

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