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松本純の回想録 12話 |
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2026(令和8)年1月27日(火)〜2月7日(土) |
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【衆院選2026】 第51回衆院選1月27日(火)公示〜2月8日(日)投開票 |
Political Advisor 松本 純
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議員の最も大切な仕事は、選挙だ (回想録) |

【総選挙2026】2月7日(土)K/12号
第12話(最終話):若き政治家に 期待する
地域の代弁者である「代議士」は、常に謙虚であるべきだ。
とりわけ、日本を代表する権限を持つ国政の政治家には、揺るぎない「品格」を持ってほしい。
麻生太郎師匠は、「選挙は最も大切な仕事だが、目的ではない。国政で働くための手段にすぎない。目的は、国家と国民の幸福な未来を築くことだ。評価はその後でよい」と。
選良としての道を歩むならば、おごり高ぶることなく、最初の10年は雑巾がけ、次の10年は中堅、さらに10年を経て一人前という立場をわきまえ、地元有権者との信頼を丁寧に築いてほしいと思います。焦る必要はありません。
特に「1期生は2期生になることが仕事です」。バッジをつけた途端に持ち上げられ、消えていく政治家を、私は数多く見てきました。
私の夢は、国民負担率への理解を深め、税と保険という二つの仕組みを堅持し、経済と社会保障が安定した日本を次世代につなぐことです。
そのために、若い政治家を育てていきたいと考えています。
頑張れ日本、頑張れ選良。
12日間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。(松本純)
【総選挙2026】2月6日(金)J/12号
第11話:日本の政治の安定と秩序を求めたい
日本は議院内閣制だ。現選挙制度では、政党間での闘いになっている。勿論無所属でも立候補できるが、制限が多く難しい闘いが強いられる。
多くの政党から立候補者が出て、ショート動画などでのアピールが多いと報道された。広い日本で、どのように地元有権者の意見・要望を聴いているのだろう。
法廷要件では、政党は5人の現職議員、直近の選挙で総有権者の2%以上の得票により認められており、多くの政党が挑戦することができる。それに異議はない。
第7話でも触れたが、日本全国津々浦々を見渡せば、地方・都市部だけでも求める各地地元の意見・要望は大きく違う。
その一つひとつを聴き取り、集約し、政党本部が政策の取りまとめをすることになる。当然、全ての党員・党友が満足する答えは難しく、渋々ながらも納得・了承するという過程を踏んでいくことにより、日本国家の歩む方向を決めていく。大変時間をかけて民主主義を守って来た。
将来に禍根を残さない、後にあの決断が、日本の発展と幸福をもたらしたといえる政治に期待したい。
【総選挙2026】2月5日(木)I/12号
第10話:ポジティブな麻生太郎師匠



町内会・企業・団体など組織に属する皆さんは、それぞれに気の合う仲間と諸課題を解決していく。当然、権力闘争・嫉妬の海と言われる永田町に派閥が無くなる理由が見つからない。
河野洋平自民党総裁が「派閥解消」を主張していた。信頼する宮澤喜一宏池会会長に仲間15人を預けていたが、宮沢会長の後継に加藤紘一会長を指名すると決断した時のこと、「直ちに宮沢会長に脱会届を提出」ということなり、私も退会届に署名した。そして河野洋平会長のもと「大勇会」が設立された。
麻生先輩が私に語ったことは、「いいか、松本。小さなグループを作るということは反主流派になること。つまり干されることだ。義理と人情とやせ我慢だな」。
ポジティブだと感動した一言は「うまい冷や飯の食い方を探そうぜ!」だった。
「大勇会」、「為公会」、「志公会」と徐々に拡大し、仲間の数も増え、主流派も無視できない存在になった。
この時学んだのは、政治理念とは勝ち続けること技術ではなく、干されても折れずに時を待つ耐える力だ。
長きにわたり経験・知見を持つ先輩の指導を受けられることは幸運だ。
【総選挙2026】2月4日(水) H/12号
第9話:敬意を表する

第189回通常国会開会はまずは「経済対策」の補正予算からスタート。「政治と金」で予算審議進まず、暫定予算を成立させた。私は「平和安全法制特別委員会」の理事として公明党の協力を得て成立した。「TPP特委」が立ち上がり審議開始。そして、衆院解散へ進み、2017年私は7期目に当選した。「森友学園問題」の取組みが難しかった。
2016年安倍内閣改造で国務大臣初入閣し、国家公安委員会委員長、海洋政策・領土問題担当大臣、国土強靭化担当大臣、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)、内閣特命担当大臣(防災)を兼務。当時議論した「深海6,000mの資源」が今実証に取り組まれている。
麻生先生の一言「今まで友として親しげに語ってきた仲間であっても、国会で首班指名された日本の最高権力者が誰であっても敬意を表すべき。前にも、横にも並ばず、常に二歩下がれ」
この後、二回の総選挙に無所属、自民党公認で挑戦するも惜敗し、松本純の議員キャリアは7期で終了した。
(参考)2017(平成29)年10月22日第48回衆院選挙(安倍総理)7期目当選
https://jun.or.jp/election/20171022-junS7.htm
【総選挙2026】2月3日(火) G/12号
第8話:信頼とは

前話の2012年12月16日政権奪還総選挙の前のこと、9月26日に野党自民党の総裁選が行われた。麻生氏は安倍氏と共に日本を取り戻すために入念な作戦が進められていた。
総裁選の結果、一回戦では圧倒的に党員投票に強い石破氏が199:141で安倍氏を上回るも過半数に届かず、 決選投票に入り、安倍氏が108:89で勝利した。周辺では無茶な勝負と高を括っていたが、麻生氏の狙いは成功した。
そして安倍総裁のもと政権奪還にも成功し、第2次安倍内閣が動き出した。当然のことだが「政権の中心で安倍を支える」と財務大臣を8年にわたり務めることになった。
安倍総理は様々な課題に直面するたびに漏らす一言は「やっぱり(信頼できるのは)麻生さんだよね」だった。
国家課題としては、消費税8%実施へ決断、アベノミクスを本物に、集団的自衛権の憲法解釈を見直す、政治と金スキャンダル等の混乱などを乗り越え次期総選挙へ。
信頼は築き上げるものだ。
(参考)2014(平成26)年12月14日第47回衆院選6期目当選
https://jun.or.jp/election/20141214-junS6.htm
【総選挙2026】2月2日(月) F/12号
第7話:責任政党の責任


東日本大震災 災害対策 大槌町へ
麻生総理は解散時泣いた。「皆、帰ってきてくれ」と。しかし、結果は、自民300→119(−181)、公明31→21(−10)、民主115→308(+193)で自公政権は野に下った。鳩山総理の誕生だ。
谷垣総裁のもとで党の立て直しが始まるが、職員の退職勧告のみならず、昼食会合時の弁当をおにぎりだけとするなど、できることは全てやり、党の維持を図った。
政党として認められる要件は次の5つだ。@本部ビルを持つ、A職員がいる、B定期刊行物の発行、C全国47都道府県に本支部を持つ、D本部には食堂を持つ(機密保持)、これらを整備して、政党といえる。
政府・民主党の矛盾点は「子ども手当」「普天間基地移設問題」等、責任をどう取るのか、また東日本大震災・津波被害・福島原発事故の甚大被害により、菅内閣退陣。民主党代表に野田佳彦氏に代わるが震災対策の議事録不作成や原発事故対応のお粗末さが露呈された。
自民党は総裁選挙で安倍晋三総裁誕生し、2012年12月16日第46回衆院総選挙が実施され、総選挙325議席獲得し政権奪還した。
政党の責任は大きい。
(参考)2012(平成24)年12月16日第46回衆院選
5期目当選
https://jun.or.jp/election/20121216-junS5.htm
【総選挙2026】2月1日(日) E/12号
第6話:口固く、課題は即処理、総理には忠誠を誓う

小泉純一郎総理のもと行われた結果は前話の通り。
郵政民営化に反対した自民党議員は公認を外され無所属となり、「刺客」と呼ばれる候補を立てられた。その後、自民党の立て直しには時間がとられた。
小泉総理退任後は、第1次安倍政権が誕生するが、2007年7月29日参院選で歴史的大敗し、また1年程で病気のため辞任。次の福田総理もねじれ国会により任期1年を残し辞任。それを引き継ぎ麻生内閣が誕生した。
麻生総理は「早期解散」を使命として登場したが、世界経済を揺るがした「リーマンショック対応」を優先すべきと判断。G20を立上げ、世界に先駆けて「1千億ドル(日本円10兆円)」をIMFへ貸付ける決断したことが"世界のリーダー日本"の立場を上げた。
私は内閣官房副長官として全外交に同行し、全てを見てきた。総理の決断は厳しいもので、「どす黒いまでの孤独」の中で国家運営をしてきた。国益を考え、最後の決断は一人だ。
2009年8月、麻生総理は第45回総選挙を打った。私は辛くも4期目当選したが、結果はマスコミ世論の「一度民主にやらせてみよう」に負け、野に下った。
口固く、課題は即処理、総理には忠誠を誓う。
(参考)2009(平成21)年08月30日第45回衆院選
4期目当選
https://jun.or.jp/election/20090830-junS4.htm
【総選挙2026】1月31日(土) D/12号
第5話:バッジは手段




当選するや否や麻生総務大臣から、「お帰り。よし、早速家をやる。議院会館事務所の隣りが空いた。入れ。ついでに仕事もやる。総務大臣政務官だ」。それから2年連続の勤務になった。住基カードや郵政改革に取組んだ。「仕事をするには手段としてバッジが必要、しかしバッジは目的ではない。奢るな」と。
早速、年末の谷垣財務大臣との予算折衝。「大根」は、これから創り上げられる「ユビキタスネットワーク社会」構築のための「電子タグ」説明用。消防車模型は、「無人消防ロボット」だ。テロや大型火災の時に毒ガスを心配すること無く消火活動ができる研究は大事だ。
お茶目な麻生総務大臣は、目に見える説明用具「大根」と「模型消防車」によって予算獲得に成功。かつて無い手法だった。
2004年10月新潟県中越地震発生対応、そして2005年4月ころから郵政民営化議論が活発になり、いよいよ小泉劇場の開幕となる。
バッジが無ければ仕事はできない。
(参考)2005(平成17)年09月11日
第44回衆院選3期当選
https://jun.or.jp/election/20050911-junS3.htm
【総選挙2026】1月30日(金) C/12号


あれだけ「君たちの仕事は2期生になること」と言われ続けたが、森政権の2000年選挙で落選。政権支持率の低下、公明党との連立等、理由を挙げたら切りがない。結果は自らの不徳と受止め、直ちに復帰へ向け始動した。
まずは、地元にへばり付くこと。国会、党本部(落選議員の会以外)に一切顔を出さず、ひたすらに毎朝駅頭に立ち訴え続け、各種会合にも参加した3年4ヶ月だった。
そして、小泉純一郎総理のもと総選挙が行われ、「一区現象」を乗り越え復活した。
選挙中、記憶に残っていることは「終電アンニュイ作戦」。今でこそ誰もがやるが、朝駅頭でお見送りした場所で、有権者が帰ってくる夕刻から、一人でタスキを外し同じ場所で「お帰りなさい」と感謝を伝える。但し終電まで。その様子を見た有権者が「頑張って」とコンビニでわざわざ購入したパンと牛乳を差し入れしてくれた。目が合った瞬間、涙がこぼれてしまった。
有権者は見ている。
(参考)2003(平成15)年11月09日
第43回衆院選2期目復活当選
https://jun.or.jp/election/20031109-junS2.htm
【総選挙20
26】1月29日(木) B/12号

初戦で幸運にも勝ち上がった私は、亀井静香組織広報本部長に呼び出され、問われたのは「君の村はどこ?」、「はい横浜市です」と答えたら絶句。派閥のことだった。
この程度だから新人は先輩議員の指導が必須。そこで神奈川の河野洋平先生の門をたたき指導を願った。「私の仲間は宏池会に預けている。番頭格は麻生太郎、指導を受けなさい」との指示だった。
そこから30年の師弟関係が続いているが、当初不思議だったのは、リベラルの河野先生と保守の麻生先生の相性の良さだ。答えは簡単で、河野総裁、森喜朗幹事長、麻生筆頭副幹事長の三人が当時の自民党離脱者の対応などに汗をかいたチームだったそうだ。
さらに、お二人の会話など聴いていると、互いに尊敬し合い、国会議員の品格といった価値観でも相性が良かったのだろう。
多くを学んできたが、恩師を選ぶ眼も大切だ。
そして、2000年に二期目の挑戦で「落選」の結果。苦しみはここから始まる。
(参考)2000(平成12)年06月25日
第42回衆院選2期目挑戦も落選
https://jun.or.jp/election/20000625-junS0.htm
【総選挙2026】1月27日(火) A/12号
第2話:努力は運を開く チャンスを逃すな
1996年ころのこと。当選同期の菅義偉氏は3期目の市議選に出ず、国政を目指し無職へ。私は先見えず市議3期目へ。次の衆院総選挙は我が国初めての小選挙区制度で実施されるため、候補者調整などテンヤワンヤの時代だった。
西区選出市議だった菅義偉氏は神奈川2区へ、旧神奈川1区選出だった小此木八郎氏は3区へ。1区が決まらない。県市議で一番若い松本出ろと、関貞彦氏(市議)、村上健司氏(県議)、坂倉徹氏(経済界)から出馬要請あり受諾した。
橋本竜太郎総理のもと「介護保険制度」を創ると解散総選挙を迎えた。私が指導を受けたのは、河野洋平、麻生太郎両氏だった。出会いは次回に続く。
チャンスを活かせ。
(参考)1996(平成08)年10月20日
第41回衆院選小選挙区初当選
https://jun.or.jp/election/19961020-junS1.htm
【総選挙2026】1月27日(火) @/12号
松本純です。これから12日間、お付き合い下さい。
第1話:松本の初めての公職選挙 足りないのは知名度

1990年当時、街では未来に向けた街づくり、業界では医薬分業、テーマは分かり易かった。横浜JC活動、街づくり運動、薬剤師会活動などで「しゃかりき誉」と言われる活動を展開した。
それが切っ掛けで、横浜市会議員に挑戦し経験を活かせと出馬要請の声が挙がり、政治の右も左も分からぬ40歳の若造が知名度も無い中1991年春の統一地方選に向け準備を始めた。指導者は当時52歳の村上健司県議だった。
任期切れ10か月前に、中区市議欠選挙が実施された。知名度の無いことを思い知った初挑戦だった。結果、補選で初陣を飾り、その後、市議3期を務めることができた。
始めから知名度の高いものなどいない。支援者の信用を借りることだ。
(参考)1990(平成02)年06月24日 中区補欠選挙
当選
https://jun.or.jp/election/19900624-junY1.htm