松本純の基本政策 |
これからの挑戦2024 |
改革は不断、しかし守るべきものは守る
命を守るT 小泉「構造改革」、危機に揺らいだ消防行政の中で |
20年前の2004年、小泉純一郎政権は「聖域なき構造改革」を打ち出し、「改革」という言葉は国民的人気を集めていました。 当時松本純は、麻生太郎総務大臣の下で総務政務官(消防担当)を務めていました。その年は、集中豪雨など大規模災害が相次ぎ、10月には新潟県中越地震が発生しました。「被災地に行った際には不眠不休で救命・救助に取り組む消防隊員や消防団員の姿に頭が下がる思いでした」(松本)。 全国の消防本部や消防団を統括する消防庁では、救護体制強化の取組みが急を要していました。 しかし、事態は思うようには進みませんでした。行政の肥大化と無駄の削減を掲げる小泉内閣は、政府に有識者会議、自民党内に行革推進本部を設置し、独立行政法人の見直しに拍車をかけ、その手は消防庁直属の研究開発法人「消防研究所」へと及んできました。 消防研究所とは、災害時、現地に入り、火災や災害の教訓から得られた知見を活かすための調査・研究を行う機関。豊富に蓄積された情報を駆使する災害調査のプロ集団ともいえ、まさに消防行政の頭脳でもありました。
当時の林省吾消防庁長官はこう振り返ります。 「国民の命を守ることは国の責務です。民間に任せてはその役割は果たせません。私たちはそれを必死に訴えましたが、有識者会議と自民党の行革本部は聞く耳を持ちませんでした。『他の研究機関との統合』と『非公務員化(民営化)』を決定したのです」。 決着まで時間のない中、途方にくれた林長官のとった最後の手段が松本純政務官でした。 松本に窮状を訴えたところ、即決断し、麻生大臣が出張から戻ってくる隙間を捉え羽田空港控室で消防研究所の民営化「断固阻止」を二人で熱心に訴えました。 数日後、林長官の元へ麻生大臣から連絡が入りました。「『消防研究所は消防庁に残度ことになった。定数を半分にすると言っているが、いいな』とおっしゃるので『やむをえません』と返答しました」。 「松本政務官が熱意を持って説得して下さったおかげで麻生総務大臣が政府や自民党の中枢に働きかけてくれました。当時より大規模災害が多発し、人的被害が拡大する昨今消防研究所が民営化されていたら、今ごろどうなっていたことか・・・」(林)。 松本純も当時を振り返ります。 「『改革』が必要な時代だとしても、守るべきものは守らねばなりません。とりわけ、国民の命に直結する事案は国が責任を持たねばならない。それを地方自治体や民間任せにするのは国の責任放棄だと『あの時』思いを新たにしました」(松本)。
消防団等にエール!日本消防協会 秋本敏文会長 「松本純さんとは長いお付き合い」「地域を守り、国民の命を守る消防団・消防隊員の『奉公』(伊藤博文・言)精神に深い敬意を表します」 |
2024(令和6)年9月20日(金) この8月に竣工した新・日本消防会館で、公益財団法人日本消防協会・秋本敏文会長にお話を伺いました。秋本会長は阪神淡路大震災発災の年に消防庁長官に就かれ、その後全国市長会事務総長などを経て日本消防協会会長に就任されました。秋本会長は松本とは長いお付き合いで、松本は総務大臣政務官(消防庁担当)当時に消防研究所の存続に懸命に取り組んだことを、また秋本会長は麻生太郎総理(当時)が全国消防操法大会で激励くださったことなどに触れ来し方を振り返りました。「人がいるぞとなれば助けに行く。火があるぞとなれば消しに行く。 消防はそれに突っ込んで行くのです」と消防団員・消防職員の熱意を話して下さいました。そして秋本会長はそれぞれの自治体・地元で頑張っている消防団員、女性消防団員 、消防職員などの皆様のご尽力に深く感謝しており、消防協会としてしっかりサポートしていきたいと語りました。まさに「地域を守り、国民の命を守る!」の懇談でした。 |
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