松本純の感動した講演

 

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2004(平成16)年2月24日12時15分〜
参議院本会議場にて

アナン国連事務総長 国会演説 (仮訳)

 小泉総理大臣、倉田参議院議長、河野衆議院議長、閣僚各位、衆参両院の議員各位、ご列席の皆様、

 民主主義の砦であり、法の象徴であり、日本人にとって最も重要な任務を果たしている、この国会にお招き頂いたことを光栄に思います。今日の相互依存の時代に、国会はこれまで以上に中心的な役割を果たすようになっています。

 私は、このような時に国会にご招待頂いたことに感謝を申し上げ、貴国のこと、国連のこと、そして私たちが共に立ち向かわなければならない重大な挑戦についてお話したいと思います。

 あらゆる国連加盟国には、感銘を与える物語、闘争と憧憬の歴史があります。日本の物語は、特に心に訴えるものです。貴国は、戦争の灰燼の中から活気ある繁栄した民主主義国家を作り上げました。それは世界中の人々に希望を与えています。日本はまた、国際社会への参画についても模範を示しています。過去十年間を通じて、日本はそのほとんどの期間、アフリカ及びアジアに対する支援を中心として世界最大の開発援助供与国であり続けました。平和維持活動についても日本は、信頼できる支援国です。そして、核兵器による破壊の恐ろしさを知っている唯一の国として、日本は平和と核軍縮の最もたゆまざる支援者の一員です。私のみならず国連のすべての加盟国が、国際社会における日本の現在の地位を明確にしている強力な世界的な市民としての活動を賞賛しております。

 多極主義を確固として信じておられる、皆様が御承知のとおり、私の今回の日本訪問は、決定的な時期に行われています。昨年は、国連の歴史の中で最も困難な年のひとつでした。

 日本と同じように、国連はイラクでの暴力により貴重な同僚と友人を失いました。皆様を始めとする多くの人々と同様に、私は、イラクの継続的な不安定、及びそれが地域全体に与えうる影響について悩まされています。そしてまた、皆様と同様に、国連が平和と安全を維持することをより広範に追求することに対してイラク戦争が持ちうる意味合いについて懸念しています。

 戦争前にどんな意見を有していようと、今日私たちのだれもが、平和なイラクが地域及び国際社会において適切な地位を再び占めることに共通の利益を見出しています。主権の回復は安定にとって不可欠です。国連は、イラク国民が自らの運命を再び自分達の手に握り、自らの一体性と領土保全を維持し、法の支配に基づいた、すべてのイラク市民に対して自由と平等な権利と正義を与える正統性のある民主的な政府を樹立するために、すべての可能な支援を行うことを約束しております。

 緊急に取り組むべき課題は、政治的移行についてのイラク国民の創意を見出すことです。

 御承知のとおり、国連により支援のため、今月初め、私は、ラクダール・ブラヒミ氏を団長とする小規模な調査団を派遣しました。私は既に調査結果をイラク統治評議会及び連合暫定施政当局、そして安保理にも提出しました。安保理による一致した曖昧なところのない明確な支持を得ることが、国連がイラクで成功する必要不可欠な前提条件です。

 調査団は、選挙が民主的統治と再建を行うプロセスの必要な一歩であることだけでなく、主権を暫定政府に移譲する6月30日という期限は維持されるべきことも、イラク人の創意であることを見出しました。残念なことに、信頼できる選挙を2004年6月
30日までに実施することはできません。したがって、イラク人は、主権を移譲することができ、また、可能な最も良い条件で選挙を準備し実施するのに必要となる期間中に本質的な機能を果たすことができる、暫定的な枠組みについて合意することが必要です。

 国連は、そのような暫定統治機関の固有の権力、機構及び構成、それが設立されるプロセスについてイラク人の創意を形成することを助けるための支援を喜んで行う用意があります。

 暫定政府が樹立され主権が移譲された後には、イラク人は国連が主要な役割を果たすことを期待しています。イラク人はとても才能に恵まれており、自分自身の国家を再建する能力があることは確かですが、私たちは、喜んでイラク人に協力し、新たな当局に対し、民主的選挙に必要な法的枠組みに関する助言を与えるとともに、そのような選挙を組織し、憲法を起草し、国を再建し、人権や法の支配に基づく国家を建設する際の支援を与えます。私たちがこの任務を果たすにあたっては、国連は、他のものとは明確に区別された存在として認められることが必要不可欠です。イラク国民及びその他の人々は、私たちが何であるか、すなわち、私たちが、支援が必要な期間にイラク人の国を支援すること以外に何らの課題を持たない、公平で独立した世界組織であることを理解しなければなりません。

 占領が終了すれば自動的に不安定な状態も終了すると期待することはできません。しかし、私たちが十分な役割を果たすには、更に安全な環境が絶対必要です。というのも、国際職員をより恒常的な形でイラクに戻す必要があるからです。

 すなわち、この先には困難な挑戦があるのです。しかし、国際社会が一致してイラク人を支持すれば、乗り越えられないものではありません。日本はこの挑戦に率先して向かい合ってきた国の一つです。貴国は、安保理決議の要請に応え、窮状に立ち向かうイラクに対して賞賛されるべき連帯姿勢を示されました。貴国は、私が設立した「イラクに関するフレンズ・グループ」に参加しています。貴国は、復興に対して寛大な貢献を表明されました。また、困難な議論を経て、貴国は人道復興支援を行うためにサマワに自衛隊を派遣されました。

 しかし、今日、問われているのは、2600万以上の人口を有する国家やその地域の未来だけではありません。国際テロリズムに対する私たちの認識を全く変える事件であった2001年9月11日の痛ましい事件の直後に生じたイラクをめぐる意見の相違は、私たちの集団安全保障体制について根本的な問題を提起しました。

 効果的に、望ましく軍事力を行使することなく対処できるように、平和に対する脅威をどのように十分早く特定するのか。

 いつ武力の行使が認められるのか、そして誰が承認するのか。各国が独自に行うのか、それとも共に行う方が安全か。

 テロリズムがグローバル化し、大量破壊兵器を非国家主体が拡散される世界において、自衛の限界は何か。

 国家内部の紛争、特にジェノサイドや「民族浄化」やその他の人権の著しい侵害行為を防止または解決するために、国際社会はどこまで責任を負うのか。

 そして、私たちは、いかにして、国際社会の課題を再度バランスをとることを通じて、現在のいわゆるハードな脅威への集中が、貧困や飢餓や疾病といった現存する危険に立ち向かう努力を凌駕しないようにするのか。結局のところ、不平等が明白となり苦痛が広がる世界は、最も特権の与えられた住民にとってさえ、十分安全または平和であるとは言い切れないのです。

 国連憲章は、今もなお、代替されることのない行動の枠組です。国連は、今もなお正統性を提供する場です。しかし私たちは、新たな且つ十分描ききれていない国際安全保障の地図の中にいます。このことを念頭に、私は、現存する国際的なルールとどのように適応させるかを考えるため、大胆に見直すことを求めました。このために、私は、世界のあらゆる地域から著名な16人の専門家からなる「脅威、挑戦及び変革に関するハイレベル委員会」を指名しました。その中には、日本の緒方貞子氏がいます。国連の私たちから見ても仲間であると思っている方です。

 この委員会は国連改革に関する委員会と呼ばれています。実際、安保理を含む国連のルールと機構の改革を提案するかもしれません。しかし、そうであったとしても、その変革は目的のための手段です。本作業の目標はもっと広範なものです。すなわち、現存する脅威にいかにして集団的に対応するかを見出すことです。私は、今年後半または来年初めに、国連総会に勧告できることを希望しています。来年、国連は創設60周年を迎えます。60周年を記念するのに、将来に向けて国連を強化するために大幅な措置をとることこそ最も適切ではないでしょうか。最終的な決定は、加盟国の手にあります。すなわち、政府のみならず議員である皆様の手にあります。この委員会が成功すれば、現在の行き詰まりの状況が、賢人達が課題を取り上げ新しい世紀の要請に応えるための国際協力メカニズムを強化した瞬間として歴史に刻まれることになるかもしれません。

 ご列席の皆様、

 現在が国連にとって重要な時であるならば、日本そして日本と国連の関係にとってもそうかもしれません。私は、日本と国連の関係のいくつかの分野について、日本国民の中に不満をもっておられる方がいることを承知しています。

 私は、安保理改革に関する対話が、ほとんど進展もなく長い間続けられてきたことに対する皆様の失望感を共有します。安保理が拡大されるべきであることについては、事実上すべての加盟国が合意しております。しかし合意に達することの困難さを、合意に達しないことの言い訳にしてはいけません。その遅れは、コストのかからないものでは決してありません。安保理がその決定を、特に途上国によって、より高い敬意をもって受け止められることを希望するならば、この問題は一層の緊急性をもって取り組まれる必要があります。

 これが日本の不満の唯一の理由ではありません。国連憲章に時代錯誤の「敵国」条項が存在すること、そして通常予算の分担率が過大になっていると同時に国連事務局の職員数について日本が過少にしか代表されていないと感じられていることが、国連に対して日本の方々が苛立ちを感じている原因となっていることも承知しています。

 しかし、私は、このような不満が多数国間主義に対する日本のコミットメントを損ねることがないことを希望し信頼しています。

 日本の技術力と「人間の安全保障」への重視なくして、世界がミレニアム開発目標を達成することはないでしょう。数十のアフリカ諸国の人々に対し、アフリカで保健・医療・教育、環境保護の増進のために日本がどれほど貢献してきたか訊いてみれば直ちに分かります。

 私たちは、日本が国連の政務、平和維持、人権の取組に引き続き参画して行くことを必要としています。タジキスタン、カンボジア、東チモール、モザンビーク及びルワンダの人々に対し、例えば、彼らが紛争から脱し、安定的で機能する国家を建設するのを支援するために貴国が行っている努力に如何に感謝しているか訊いてみれば分かります。そして、日本が、アフガニスタンに対して、2年前に支援表明会合を主催することに成功し、引き続き同国の復興に主導的な役割を果たすなど、どれほど大きな貢献をしたか考えてみればわかります。

 私たちは、核兵器のない朝鮮半島を確保するために日本の積極的な外交的関与を必要としています。私は、明日北京で多国間協議が再開されることに勇気づけられており、同プロセスを強く支持することを表明します。また私は、日本と朝鮮民主主義人民共和国が、拉致問題及びその他の両国間の未解決の諸問題を完全に解決することを希望します。私は、この問題が関係する人々及びその家族の方々に如何に大きな苦痛を与えてきたかを理解するとともに、苦痛を受けたすべての人々に同情の意を表するものです。

 これらは、日本の役割と参加が大いに役立つ問題の一部にすぎません。

 しかし、このすべてを実施し、日本が世界の直面する問題に解決策を見出すのに十分に参加するために、私たちもまた、日本の人々を必要としています。若手から幹部までのあらゆるレベルで、より多くの日本の男女が国連で仕事をすることなくして国連の再活性化はありません。ますます多くの日本の優秀な若者、特に女性が国連事務局と専門機関での仕事に大きな満足を見出していることを喜ばしく思います。ひとりの若者にとって、よりよい世界を築く助力をするため、そして私の世代が成し遂げた仕事を改善するために、同世代の若者と協力すること以上に刺激のある挑戦というものがあるとは、私には考えられません。しかし、依然として深刻な不均衡が存在することは承知しています。21世紀の国連は、日本の叡智と経験の恩恵がなくてはならず、私はこの問題を是正するために貴国と共に努力をすることを引き続き強く約束します。

 ご列席の皆様、

 現在、否定できない雰囲気があります。それは、改革と変革が時代の流れとなっていることです。今こそ、最策の変更から機構の改良に至るまで、国連の今後のあり方を位置づけるとともに、次世代に引き継ぐべき私たちの遺産が、困難に対処する際の混乱や弱点ではなく、力強さ、効果的であること、そして単なる美徳ではなく必要不可欠なものとして国際協力に対する更に高い評価となるよう国連を形づける時なのです。

 私たちが求める進化とは、最終的には内的なもの、すなわち私たちの心であり私たちの考え方です。しかし時には、そのような変化は適切な外的表現を見つけるものです。そのような象徴の一つが、ニューヨークの国連施設に新館が追加されることです。この新館の設計に、ニューヨーク市は、日本の著名な建築家である槇文彦氏を正式に選出する予定です。私は、槇氏が21世紀の国連の精神を刺激ある形で新たに表現されるものと期待しています。

 その建物は伝統と完全に調和するでしょう。1956年、日本国旗が国連に掲げられ、貴国の外務大臣が「いづれの国家も、自国のことのみに専念してはならない」という貴国に深く根ざした信念を表明したその日から50年近くもの間、貴国が国連に刻みつけたものは、強固で且つ特色のあるものでした。この不変の精神の下で、私たちは一致協力し、将来偉大な成果を生み出して行くことを確信します。

 有り難うございました。

○アナン総長の経歴
ガーナ出身。
97年1月1日、国連職員から選出された最初の事務総長として就任。
1938年4月8日、ガーナのクマーシに生まれた。62年、WHOの行政・予算担当官として、国連システムに加わった。平和維持活動担当の事務次長補(93年3月〜94年2月)および事務次長(94年2月〜95年10月、96年4月〜96年12月)を歴任。


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