松本純リポート2007 |
2007/04/27〜05/03 |
Japan-Arab Leadership Network
2007
Amman 30/4-1/5 /2007
ヨルダンへ政務出張(自費参加)
≪参加者≫
河野太郎衆議院議員(自民)、
柴山昌彦衆議院議員(自民)、
鈴木馨祐衆議院議員(自民)、
浅尾慶一郎参議院議員(民主)、
榊原櫻氏(且O井物産戦略研究所)、
信田智人氏(国際大学)、
松本純衆議院議員(自民)
≪日程≫
2007年4月27日(金)〜5月3日(木)
●東京羽田空港→大阪関西空港→ドバイ→アンマン→ドバイ→大阪関西空港→東京羽田空港
≪目的≫
ヨルダンのアカバで予定されていたJALNの第三回フォーラムはAIPUが一方的に会議をキャンセルし、成立しなかった。今年こそ開催したいと河野太郎団長が気合を入れる。課題は山積しており、中東和平、経済問題などの政治的課題や今年は特に環境問題についてディスカッションすることになった。 当初はアカバで開催する予定だったが、相手側の都合でアンマンになり結局アカバ・フォーラムは幻となった。 昨年と同様、今年も私はもっぱらカメラマンに徹する。サウジアラビアやAIPUから写真を欲しいとせがまれたことを考えれば多少貢献できたのかな・・・。(純)
▼河野太郎団長
ヨルダンのアンマンで第三回のJapan-Arab Leadership Networkを開催。
一昨年にヨルダンのアカバでの開催を決めたが、昨年は直前にAIPU(Arab Inter-Parliamentary
Union)の都合でキャンセルになり、今回は仕切り直し。
が、実は開催直前に、今度はヨルダン議会から開催日変更の打診が来る。日本側は、この連休しか確実に海外に出られないため、変更は出来ないと返事するが、先方からはキャンセルしたいとの連絡が来る。
昨年参加してくれたメンバーのうち、改選を迎える参議院議員以外の多数が貴重なゴールデンウィークに欧米や中国ではなく中東の会議に参加予定にしてくれている中で、二年続けてドタキャンになれば、その影響は重大だ。
困ったときのアワダラー(ジョージタウンの一年先輩で、閣僚を経て国王の首席補佐官)頼みで、下院議長に対し、国王がこの会議の開催に重大な関心を持っていると連絡してもらう。
どうも同じ時期にインドネシアで開かれるInter-Parliamentary
Unionに下院議長が出席しなければならず、こっちの会議に参加できないため、この会議の時期を変更させようと画策したらしい。
国王のご関心とあれば変更は出来ず、開催決定。しかし、今度は国王のご意志で開催地がアカバからアンマンに。
(河野太郎・ごまめの歯軋りより)
≪日記≫(参考:河野太郎のごまめの歯ぎしり等)
4月27日(金)晴れ
4月27日夜、羽田発関空経由ドバイへ。
一行は、松本純、鈴木けいすけ両代議士と国際大学の信田教授、そして今年からわが事務所の中東担当のマゼン・アブダリ。
(河野太郎・ごまめの歯軋りより)
●2045〜JALNフォーラムへ出発/羽田発JAL187・関空経由・ドバイ行きJL5099EK317
左から、鈴木馨祐衆議院議員、私、河野太郎衆議院議員、信田智人国際大教授。羽田のVIPルームで合流し、いよいよ出発です。関西空港でエミレーツ・ドバイ行きに乗り換えです。関空まで1時間15分、関空からドバイまで11時間15分の長旅になります。
4月28日(土) 《ドバイ泊》
4月28日、ドバイで三井物産戦略研究所の榊原氏と合流。
アブダビ在住の盛正純氏(わが事務所のスタッフのお兄さん!)のアレンジで、アブダビのエミレーツパレスでアブダビの首長の官房長官役とアブダビの開発計画を担当する補佐官(ジョージタウン卒!)とアブダビの将来計画について意見交換。ちなみにアブダビはルイスアンドクラーク大学卒が結構多く、信田教授が喜ぶ。その後、安倍総理夫妻が泊まられるスイートの部屋を見学させていただく。総理宛にメモを置いておこうかと思ったが、それではまるでセキュリティが無いみたいなのでやめておく。
(河野太郎・ごまめの歯軋りより)
●0530〜ドバイ着
なんと到着すると現地時間は朝の5時半。6時ころホテルの車が迎えに来てくれました。
●0700〜ホテル到着/ハイアット・リージェンシー・ドバイ
ハイアット・リージェンシー・ドバイにチェックインし、荷物を解きました。そして8時集合で今日の行動についてミーティングが行われました。スーダンの豆で「ヒヨコ豆」がこちらでは好物だとのこと。今日は土曜日ですが、アラブの国々では金曜日と土曜日がお休みの日だそうで、公的な活動は今日は出来ません。
●1100〜アブダビの開発計画聴取/エミレーツ・パレス・アブダビ
ドバイを9時30分に出発して、車でアブダビに向かいました。明日、安倍晋三総理が宿泊するエミレーツ・パレスにて、都市開発計画について展示物見学、そして会議室で説明を受けました。これからの夢のアブダビを創るために安藤氏の協力により計画が進められています。説明者はアブダビ首長の官房長官役のMr.Waleed Al Muheiry、開発計画担当補佐官Mr.Mohamed Al Bowardi のお二人でした。この計画は2006年10月に作られたもので「2016年のアブダビ」を創造するものです。前回お世話になった盛さんにも一年ぶりに再会しました。
▼昼食はホテルのアラブレストランで
前菜たっぷりの昼食をご馳走になりました。白身魚、えび、マトン、ピクルス、大きなトマト、青菜のちぎりなどなどオリーブオイルたっぷりの懐かしい料理が並びました。この国ではお酒がすべて禁止されているわけではありませんので、コロナビールをいただきました。
▼ホテル内視察/エミレーツ・プラザ・アブダビ
ホテルの方(女性)に内部の説明を受けました。なんせ馬鹿でかいホテルで驚きます。
この部屋がスイートルーム。明日安倍総理がお泊りになるそうです。一足先に覗いてしまいました。お付の部屋も入れてベッドルームは三つくらいあったのではないでしょうか。当然バスルームもそれぞれに。それ以外に会議室や食堂、さらにその食堂のための厨房などが完備されていて、スイートルームの中で迷子になってしまいそうです。
▼帰りに河野太郎の旅行かばん購入/エミレーツ・モール
アブダビからドバイへの距離は40キロくらいあるのでしょうか、スイスイ行って1時間くらい、交通渋滞にぶつかると2時間あっても足りません。途中で懐かしいバージュアル・アラブがヨットの帆の姿を見せました。エミレーツ・モール(人工スキー場を完備している)に寄って、移動中に壊れてしまった河野太郎旅行かばんの代替品を探しに行きました。なかなか気に入ったものが見つかりませんでしたが、最上階でイメージに合うかばんを発見。
▼夕食はホテルの日本料理店へ/ハイアット・リージェンシー・ホテル
買い物を終えてホテルへ戻りました。その途中で例のドバイ・タワーを発見。昨年の倍くらいの高さになっているように見えます。現在300メートルくらいだそうですが、完成すると800メートルを超えると言うのです。ほんとうにこんなに細くて大丈夫なんでしょうか。
焼き鳥とお茶漬けでさらりと夕食を済ませました。ホテル内にスケート場があるというのも面白いですね。砂漠の真ん中に何でもありの街を造ってしまう、ほんとうに面白いドバイです。
4月29日(日) 《アンマン泊》
4月29日、ドバイ発アンマン着。
柴山昌彦代議士と民主党の浅尾慶一郎参議院議員が合流。午後はジェラシのローマ遺跡を見学。アラブ側代表団到着。オマーンからは王子が出席。ヨルダン、サウジアラビア、イエメン、パレスチナ、エジプト、チュニジア、アルジェリア、バーレーンの8カ国からは政治家、国会議員が出席し、AIPUも代表が出席する。
(河野太郎・ごまめの歯軋りより)
●0800〜RJ613便でヨルダン・アンマンへ(所要3時間10分)
さて、今日の移動も大騒ぎです。朝4時に起きて荷造りに励みました。午前5時00分にチェックアウトし、5時30分には出発です。5時45分には空港に到着。6時に待合室で柴山、浅尾両議員と合流しました。7時30分には飛行機に乗り込み、8時にテイクオフとなりました。3時間15分かけてヨルダンに到着。在ヨルダン日本国大使の加藤重信氏と昨年大変お世話になったドクター・アルバドリが迎えに来てくれました。現地時間の11時ころ空港を出発し、ホテルへ向かいました。
●1200〜早速、ホテルへ移動、チェックイン/ケンピンスキーホテル
昨年も宿泊したケンピンスキーホテル。警備状況も昨年と変わらず厳重です。チェックインし荷解きを終えて、午後1時集合。明日の本番前に、ヨルダンの史跡めぐりを実行。昨年はたっぷり時間があったのでぺトラや死海など足を伸ばすことが出来ましたが、今年は短時間勝負で、ジュラシへ行くことにしました。
●1415〜途中でお昼ご飯を・・・/ジュラシュ・ゲート・レストラン
アラブ料理の昼食です。こちらでは朝も昼も夜も同じものを食べてるのでしょうかね。強風の吹き抜けるオープンレストランは、お客さんでいっぱいです。
●1540〜ジェラシュのローマ遺跡へ
凄い。ローマ時代の遺跡が当時の姿を見せているではありませんか。クロスロード、大小劇場、教会などなどが広大な大地に広がっています。
●1730〜アジュラン城
午後5時で公開は終了してしまうそうで、残念ながら内部を拝見することは出来ませんでした。周りからお城の様子や周辺の風景を楽しみました。ちょうどその時間に素敵な雲がお城にかかり、夢中でシャッターを押してしまいました。
4月30日(月) 《アンマン泊》
4月30日、JALN第1日。
ヨルダン議会第一副議長のスピーチの後、日本側を代表して挨拶する。AIPU事務局からの挨拶が終わって、コーヒーブレークになる。再開後の議題は政治的課題。日本のイラクへの関与、パレスチナの「平和の回廊」などを説明し、議論に入る。が、すぐブレーク。
国王から日本代表団が招かれ、王宮へ。ヨルダン側から招かれるのは日本だけなので、他の国のメンバーにはそのことを告げないようにとの厳命。案の定、他の代表団からせっかく議論が盛り上がっているのになんで休憩なのかと質問が出る。
新しい王宮で国王と会談。イラン問題についてもいろんな視点からの話が出る。(秘密にするようにと言われていたが、その日にはテレビニュースに出るし、次の日には新聞に会談の内容が写真入りで出た!)
午後、浅尾慶一郎参議院議員を議長に、会議は再開され、日本と中東との関わりがテーマに。さらに投資、ODAについても意見を交わす。
やっぱり用意してきたテキストをアラビア語で読み上げるメンバーが多いので、テキストがあるなら読まないでコピーして配ってくれ、通訳の声ばかり聞いていても仕方ないから英語で直接話して欲しいと突っ込む。
それが受けて、いきなり本音の話がいろいろと飛び出る。
事前に英語でやるからねとあれだけ念を押したのに英語の出来ないメンバーもいて、彼らは当然、最後までアラビア語。
会議終了後、王宮にアワダラーを訪ねる。いろんな意見交換の後に王宮の中を特別に案内していただく。日本の正殿松の間にあたる部屋にも入れていただく。
夜はヨルダン議会第一副議長招待の夕食会。
(河野太郎・ごまめの歯軋りより)
●0930〜1700 Third Japan-Arab Leadership Network Forum/ケンピンスキー・ホテル会議室
いよいよ第一日目のフォーラムがスタートです。午前9時20分に集合し、9時30分から会議がスタートしました。
・議長団はヨルダン第一副議長、日本(河野太郎代表)、AIPU事務局
・ヨルダン、チュニジア、サウジアラビア
・パレスチナ、イエメン
・エジプト、オマーン、アルジェリア
・バーレーン、日本
●1120〜中抜けしてヨルダン国王と会談/新王宮
パトカーに先導されて新王宮へ向かいました。11時50分に到着し、待合室で待たされましたが、12時20分から13時までの40分間にわたりヨルダン国王(アブドッラー2世国王/ヨルダン・ハシミテ王国第4代国王)との会談が行われました。中東和平、経済問題、日本に期待する課題など、きれいな英語で機関銃のように語り続けられました。昨年に引き続き二回目の謁見ですから緊張感はなく、大変親しみやすい国王の人柄に触れて大変嬉しく思いました。
▼終了後あわただしくJALN会議に戻る
午後13時に新王宮をあとに、再びパトカーの先導でホテルに向かいました。ホテルのランチで腹ごしらえをして、午後15時から会議再開。議長は日本の浅尾慶一郎が務めました。会議は午後16時40分ころ終了しました。
▼JALN会議が終了するやいなや王宮へ
午後16時50分ころ、パトカーの先導で旧王宮に向かいました。17時10分に到着して早速アワダラー(国王の首席補佐官、河野太郎のジョージタウン大学一年先輩)さんと会談。やはり早い、英語が早い。国王以上のスピードで舌をかみながらも喋り捲る。印象的だった噛みっぷりは「railroad links」でした。
会談終了後、王宮内を案内していただきました。
▼ホテルに戻りホッと一息/ケンピンスキーホテル
ホテルに戻り、フロント前でサービスのコーヒーをご馳走になり、部屋に戻って一息です。
●2000〜Official Dinner /ケンピンスキー・ホテルB1イタリアン
イタリアン・アラビアンのお店で、ヨルダン第一副議長招待夕食会が開催されました。日本側は概ね2名ずつ各テーブルに配置され、夕食会が始まりましたが、目の前ではアラビア語が飛び交うだけで、英語の分かる人は居ない。そういう時に交流に役立つのが写真撮影です。パチリパチリやっていたら、私の所へ送って欲しいというリクエストが飛び込んできます。
●2230〜反省会
今日の予定がすべて無事に終了しホッとしました。昨年残念ながらベリーダンスを鑑賞できなかった柴山議員からリクエストがありましたが残念ながら急にこの時間にご所望されても対応できません。今年も見ることは出来ませんでした。近所の飲み屋で一杯飲んで帰りました。
5月1日(火) 《アンマン泊》
5月1日、JALN第2日。
昨日に引き続き、政治的課題、経済的課題、そして環境問題もテーマに議論。柴山昌彦代議士が議長として采配をふるう。
JALNの今後の運営のため、日本、AIPU、アラブ側2カ国からなる運営委員会の設置と各国の代表を選出することに決定する。
次回は来年1月にイエメンのアデンでの開催に決まる。
ヨルダンからアンマンに事務局を設置したいという意向があったが、事前のアラブ側の打ち合わせで合意できなかったようだ。
夕方、ネボ山を見学する。
夕食は在アンマン加藤大使と日本企業のみなさんをアンマン一の中華レストランにお招きし、いろいろとお話をうかがう。
(河野太郎・ごまめの歯軋りより)
●0930-1300〜Third Japan-Arab Leadership Network Forum
昨日の国王訪問が新聞の一面を飾りました。他のメンバーには内緒で行くよう事務局から指示があったのですが、これでは全部ばれてしまうではないですか。
丁々発止の議論が続けられました。議長は柴山議員が担当し、昨晩の鬱憤を晴らします。今日は環境の問題にも触れられましたが、イラン対策や経済援助の話になってしまいます。しかし、日本も黙っていません、積極的な意見をガンガン繰り返します。
●1430〜遺跡めぐりに出発
出発直前に河野太郎事務所のマーゼンさんの兄弟が来訪されました。 昨晩はちょっとマーゼンさん宅を訪問しましたが、まだまだ兄弟がいるんですね。家族愛というか、めちゃくちゃに兄弟や親子が仲がよい。日本も遠い昔に忘れたモノを思い出し、大事なことを学ばなければなりませんね。
▼1600〜セント・ジョージ教会/マダバ
有名なモザイクの地図
アンマンより車で南へ30分ほどでマダバに着きます。マダバは紀元前1300年もの古くからの歴史を持つモザイクの町。このセント・ジョージ教会は6世紀に造られたギリシャ正教の教会だそうです。世界で最も古いモザイク地図が有名です。
▼1630〜マウント・ネボ/Mount Nebo, Memorial of Moses
写真中央: The Road of Peace and the Monolith of the 2000 Jubilee (by Vincenzo Blanchi)
写真右: The Christological Symbol
The Basilica of Moises
ヨルダンで最も有名な場所のひとつがこのネボ山。モーゼが生涯を終えたといわれる場所です。モアブ山脈の最高峰の標高800メートルのこの山に小さな教会が初期のキリスト教徒によって建てられ、徐々に拡大していきました。4世紀の建物で最も重要なものが祭壇のそばの十字架で、これはモーゼの死を記念して造られたものだそうです。2000年3月には前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世も同地を訪れました。
●1900〜日本企業との意見交換会/チャイニーズレストラン任柴
ヨルダン一の中国料理店「任柴」で、企業の皆さんから民間人としての意見を聞かせていただきました。
5月2日(水) 《機中泊》
5月2日、アンマン発ドバイ着。
ドバイが初めてというメンバーもいるので、乗り継ぎの待ち時間を利用して有名なバルジアルアラブの見学ツアー。
在ドバイ小林総領事をお招きしてコーヒーショップで夕食を食べながらドバイのブリーフを受ける。
(河野太郎・ごまめの歯軋り)
●0915〜ホテル出発
今朝は5時起きで荷造り。8時10分から ヨルダン・アンマンのケンピンスキーホテルでの最後の朝ごはん。 最後の荷物の点検をして、マゼンさんに預けました。荷物だけ一足先にチェックインです。そして9時15分にホテルを出発しました。
●1115〜アンマン発EK902便でドバイへ(所要3時間45分)
10時に アンマン空港に着くとエジプトの議員らとばったり会いました。二日間というわずかな時間でしたが、長時間の会議を通じて友人のような関係が出来てしまうのが、この会合の良さですね。
出発時間に少し余裕がありましたので、飛行場でお土産を買い込みました。機内に預ける荷物はすでにチェックインしていますので手荷物の範囲での買い物になりました。
●1454〜ドバイ空港到着
機内に預けた荷物はドバイはスルーで関空で受け取ることになります。お土産を詰めたり、着替えを取り出すことが出来ないのが不便ですが、手続きを二度しないですみますので気は楽です。ドバイ空港の近くにあるホテル・メリディアンで休憩することになりました。出発まで10時間以上ありますので、早速ドバイの勉強会に向かうことにしました。
左はドバイタワー。去年は工事現場まで行って勉強しましたが、今年は遠くから眺めるだけです。しかし、大きく成長しました。去年の倍の高さになったのではないでしょうか。300メートルくらいになっているとのことです。目標は800メートル 以上と聞いていますので、この高さのさらに2.5倍の高さになるというのですから信じられません。周辺でのビルラッシュも昨年と変わりません。元気いっぱいのクール・ドバイです。
昨年食事をした26階のレストランは、営業時間前なので、今回は見学だけ。
見学ツアーを終えて一休み。ホテルのそばのマディナッド・ジュメイラでお買い物とお茶を楽しみました。本当はホテルのそばで小林さんからドバイのブリーフを受ける予定でしたが、交通渋滞で車が動かず計画変更。この辺りで待つよう指示があったのです。食事処は変更で、この中でとることになりました。
ようやく合流した 在ドバイ総領事館小林弘裕総領事、派遣員南貴法さんからドバイの事情についてブリーフを受けました。詳細は書ききれませんが、それによると、まだまだドバイは成長しそうですね。 ステーキハウスでステーキバーガーとコーラの食事、次の店でビール懇談を終えてホテルに戻りました。それでもたっぷり待ち時間があります。メリディアンに戻ったのは22時、ホテル出発は24時30分予定です。
5月3日(木) 《ドバイ→関空→羽田》
5月3日、ドバイ発関空経由羽田着。(河野太郎・ごまめの歯軋りより)
●0030〜ドバイ空港に向けてホテル出発
すべての手続きを終了し、ホッと一息。
●0235〜ドバイ発EK316/JL5090便で関空へ(所要9時間45分)→1835〜関空発JL188便で羽田へ(所要1時間10分)、1945羽田着
長時間のフライトではありましたが、無事に関空まで到着しました。これから羽田に向かって乗り換えです。河野太郎団長は成田からの帰りが億劫なようで、関空・羽田経由がお好きだとのことでした。 何にしても目的の会合も成功し、無事に旅が終了し、よかった。
中東出張報告/まとめ
▼河野太郎団長(ごまめの歯軋りより)
今回ドバイについてタクシーに乗ったところでいきなり運転手さんにあんたら中国から来たのとたずねられ、中国のプレゼンスが大きくなっていることと日本の地位が相対的にどんどん小さくなっていることに改めて驚く。
会議の中でも、中国は中東、アフリカにどんどん進出しているのに、日本は何を考えているのかという発言もあり、中国の存在感が大きくなっていることに脅威を感じる。
今回の総理の中東訪問について、訪問先でないヨルダンにいたせいか、インパクトは今ひとつだったようだし、会議の参加者と夕食時に、
−日本の総理は何をしに来たのか
−中東との関係を石油の取引以上の物にしたいという意思表示だ
−だけど訪問先は石油とガスが出るところだけじゃないか
−いやいや、エジプトも訪問している
−ホルムズ海峡のオマーンやパレスチナとの関係でヨルダンなどにもよるべきではないのか
−ヨルダンは我々が来ているから総理が遠慮された(本当か?)
−なんで日本の銀行はみんな一緒に帰ったり来たりするのか(邦銀が湾岸戦争の時に一斉に撤退したことは中東では非常に有名だし、最近、日本の銀行が一斉にまた中東に戻りつつある)
−ビジネスの判断が揃っているということは、判断が的確なんじゃないか
−人と同じことをやっていたらもうからないだろ?
−中東の市場はこれから飛躍的に伸びるからみんなが儲けることが可能なんだ
−飛躍的に市場が伸びるのなら、なぜ、日本はもっと中東に投資しないのか
−ベトナムやインドの投資先が軌道に乗ったら必ず出てくるから
−中国や韓国はとっくに出てきているぞ
−彼らは他で日本に勝てなかったからじゃないか
−日本は航空会社も出てこないな
−JALがエミレーツと週に14便もコードシェアしている
−でもエミレーツは日本と同じ時期にオーストラリアに飛び始めたがもう週に70便も飛んでいるぞ
−そりゃオーストラリアと違って、日本からはヨーロッパ経由でも中東に来られるから
−でも欧米人やオーストラリア人は法律や金融、サービス業でどんどん中東で働く人が増えているのに、日本からはなんで人が来ないのか
−欧米と比べてたぶん大学のアラビア語の人数が少ないんじゃないかな
−湾岸は英語がちゃんと通じるじゃないか
−日本は韓国とならんで英語が下手な国民なんだ
−日本は外交官も短期間ですぐ帰ってしまうぞ
−財政赤字のせいで公務員の数を抑えているせいで、外交官の数がものすごく少ないんで大変なんだ(早くデザート出てこないかな)
−なぜ日本人はもっと観光に来ないのか
−ドバイ便なんか満員じゃないか
−我が国にはちっとも来ないし、欧米人と違って滞在期間も短い
−二百近い国があるんだから、少しずつたくさん行きたい人が多いんだ
−欧米人はビーチでのんびりリラックスしているぞ
−北欧と違って日本の夏は長くて暑いから、ビーチよりいろんな物を見たいんだ(いや、コーヒーのお代わりはもう結構)
会議の中のトピックで驚いたのは、なぜ日本は国連の安保理の常任理事国になろうと真剣に運動しなかったのかと指摘があったことだ。いやいや、日本は真剣だったのだ、日本以外はみな核保有国だし、武器輸出国ではないか、日本が入ることは大いに意味があるとすぐ反論したが、他の国からの参加者もコーヒーブレークの時に、日本が一生懸命運動したとは思っていなかった、と。
もちろん彼らの大多数は国会議員だから、直接外交に携わっているわけではないのかもしれないが、少なくとも日本の常任理事国入りについての関心がある中東のそれなりの層の人達が、誤解をしているというのは、こちらの働きかけにももっとやるべきことがあったということだろう。
それと裏表で、日本のアメリカに対するいろんな働きかけに対する期待感は相変わらず大きい。日米同盟を前向きに受け取って、だから日本はアメリカにモノが言えるだろうと感じているアラブ人が多い。特にイスラエルの核について、イランの核と同様に扱って欲しいという声は大きい。
イランに関しては、アラブは脅威に感じているのは間違いない。が、アメリカの暴走も困る。パレスチナ問題を解決できれば長く伸びてきたイランの触手を切り落とすことになるという説明をいろんなレベルの人がする。ヒズボラ、ハマス、イラクのシーア派、みんな裏にイランがいるから、パレスチナ問題が諸問題の中心だという。
日本側から、アラブの指導者は、自国の問題をパレスチナ問題にすり替えているだけじゃないのかという指摘もあった。たしかにそういう部分はある。
▼麻生太郎外務大臣へ提出した正式中東出張報告(文責:鈴木馨祐)
【出張概要】
アラブ諸国若手国会議員との会議に出席(参加国:サウジアラビア、エジプト、パレスチナ、イエメン、バーレーン、アルジェリア、チュニジア、オマーン、ヨルダン)
面会先:国王、アブダッラー計画相(以上ヨルダン)、アルバディ氏(アブダビ)
当方 :河野太郎衆院議員、松本純衆院議員、柴山昌彦衆院議員、鈴木馨祐衆院議員(以上自民)、浅尾慶一郎参院議員(民主)
【ポイント】
(全般)
O
日本が被爆国であること、戦後の歩み、中東に対し植民地政策をとらなかったこと等から日本に国際政治の場においてよりプレゼンスを発揮してほしいとの意見が多い(常任理事国入りも含め)
O 日本を経済的援助国としてしか捉えていない見方も未だ一部にあり
→自立や教育の重要性への認識を高めるような支援が今後は必要か
O 中国の中近東での影響力拡大は広く認識されている。その影響か、政治的影響力は援助額に比例するという類の意見あり。
→中国との援助競争を避けるためにも経済協力はEPAに比重を移すべき
→中国の無秩序な援助につき国際機関と連携して問題提起を続けるべき
(イラク情勢)
O イラク政策に関連して日本が対米盲従であるような印象が一部にあることに注意が必要
O イラクについての日本の立ち位置は政府レベルでは理解されている模様。プラスマイナスは評価が困難
O 情勢については悲観的な見方が圧倒的
(パレスチナ情勢)
O 「平和と繁栄の回廊」構想、東京での四者会合を高く評価。多くの言及あり
O 米国のイスラエルへの支援見直しに向け日本の関与を求める声あり
(イラン)
O イランの核の脅威がイスラエルでなくスンニ派の湾岸諸国を標的にしているとの見方多数(イランの核廃棄への日本の協力を期待する声あり)
(GCC)
O 金融センターとしてはドバイがバーレーンを追い抜いた
O ドバイ・カタール・アブダビ等で同様の成長戦略(航空・流通に重点)。明確な差異は無い。供給過剰の恐れあり。
O 日本の投資への期待の声が強い
◎ヨルダン情勢
<国王・開発相との面会結果>
O 経済成長等のマクロ指標は堅調、地域間格差が課題に
O 地域の平和安定がヨルダンの経済成長に必須
O 経済成長・雇用創出がパレスチナをはじめとする平和構築に大きく寄与するとの理念が強い
O 日本のパレスチナ・イラクへの取り組みを高く評価
O パレスチナよりもイラクが喫緊の課題と認識
O 中東は非常に不安定で今後数ヶ月が分水嶺(スンニ派とイラク政府の橋渡し、過激派がイスラエルを攻撃する口実を与えないこと等がポイント)
O FTA・EPA、公的債務問題(バイバック)への強い要望あり
O 日本を他国と異なり「信用できるブローカー」と認識
O イランについては米・イスラエルがイラン攻撃した場合の湾岸諸国の市民の反発が不安定を引き起こすのでアメリカに攻撃を思い留まってほしい
<ヨルダン進出日本企業トップ(商社・合弁化学工場)との意見交換結果>
O ベイルート後、バーレーンと並びアンマンはイラクも含めた地域の拠点となっているが中東の中心的拠点はドバイ
O アンマンの治安は非常に良好
O イラクに関してもエルビルのあたりの治安はかなり安定(商社の人間が数回入っている)
O レバノン・シリアと異なりビジネス環境は良好。サウジも同様だがトップの姿勢もありクリーン
O 国王の異母妹(?)が早稲田大学卒業後在日ヨルダン大使館に勤務予定