松本純 海外リポート2004 |
2004/08/08〜12 |
日系二世ウィーク・パレードに参加!
ロサンゼルス・サンフランシスコへ政務出張(自費参加)
3nights/5days
≪参加者≫
河野太郎衆議院議員、
桜井郁三衆議院議員、
松本純衆議院議員
≪日程≫
8月8日(日)
●17:10 成田出発(NH006)/ロサンゼルス行き
8月8日(日)
●11:10 ロサンゼルス空港到着(NH006)
●12:30 日系2世代表のイノウエ上院議員招待昼食会/Pacific Dining Car
●15:30 日系2世ウィーク・パレード集合、紹介、打合せ
年一回開かれる「The
64th Annual Nisei Week Japanese Festival」に参加するためにロサンゼルスに入りました。リトル東京周辺が会場となります。集合地点はその一角にあるセンテナリー・ソメジスト教会で、参加登録を無事に終えました。受付けには各地から集まった日系人の皆さんが賑やかに着飾り、出発準備に余念がありません。こちらは気楽なもので、祭りのハンテンを羽織るだけですから準備は直ちに整い出発準備OKです。回りを見渡して不思議な感じがするのは、日本人と同じ顔をしている日系人たちがすべて英語で語り、日本語が通じないという不思議な世界でした。
●16:00 オープンカーでパレードに参加
オープンカーに河野太郎、桜井郁三議員らと同乗してリトル東京周辺をパレードです。「日本から来た国会議員のみなさんです」と紹介され、我々は必死に手を振りつづけました。伝えなければならなかったことは、戦前より渡米し二世〜五世にも引き継がれた日系人の皆さんと、さらに理解を深め親交を築こうというメッセージです。まず、私たち日本の国会議員がやらなければならないことは、過去の移民の歴史と今後の日米の関係の構築についてです。2000年の国勢調査によると、米国全体の日系人は純血の日系人が79万人、他の民族との混血も加えると114万人にものぼるそうです。このうちカリフォルニア州は第一位でそれぞれ、28万人(純血)、39万人(混血含む)で、第二位のハワイは20万人(純血)、29万人(混血含む)となっています。カリフォルニアの日系人のうち南カリフォルニア地域に在住する者は、17万人(純血)、23万人(混血含む)で、全米最大の日系人コミュニティを形成しています。
●18:00 パレード終了
●19:30 日本国会議員・日系人代表者交流会/Chaya Brasserie
出席者はダニエル・イノウエ上院議員、アイリーン・ヒラノ全米日系人博物館館長、サンディ・サカモト氏、ミッチ・マキ氏、ビル・セキ氏、アンディ・ヤマモト氏、カーティス・ルーク氏、キャロル・コマツカ氏、リリアン・カワサキ氏、マーク・ウエダ氏、クリス・アイハラ氏、ロビン・トーマ氏、マーガレット・カミスキー氏と海部領事、箕輪副領事、そして我ら三人でした。参加者の多くは日本の外務省が実施している日系人交流プログラムによって、すでに日本にお見えになったことがある方で、今後さらに交流を深め、日米両国が共に発展することを強く求めており、その為には大いに力を貸してくれそうでした。
●22:00 ホテルへ/New Otani Hotel & Garden
8月9日(月)
●10:00 全米日系人博物館視察
1885年から1924年にかけて約20万人の日本人がハワイへ、また18万人が合衆国本土に移民しました。そのほとんどは干ばつ、飢餓、人口過多に苦しむ日本南部の県の出身者でした。ハワイでは初期の一世たちはサトウキビ農場で働きました。本土に着いた移民たちはアラスカの鮭缶詰工場、ユタの鉱山キャンプ、オレゴンの製材所やカリフォルニアの農園へ送られました。
日系人の生活にはいつも人種主義の影がつきまとい、これが結果として1907年から1908年の日米紳士協定の形となり、労働者は新たに合衆国に入国できなくなってしまいました。
その後何十年か経つうちに独身の男性がほとんどを占めていた日系人コミュニティは家族中心となりました。この間一世は農業部門で成功を収めましたが、新たに反日主義の風にもさらされることになりました。1922年に市民権を取る権利を拒否され、1924年には日本からの移民は断絶し、日系社会に大きな打撃を与えました。これらの規制は1952年まで続きました。
第2次世界大戦がはじまると、西海岸に在住していた日系人は強制退去と強制収容の憂き目にあいました。合衆国への忠誠心を証明しようと、多くの合衆国生まれの男子は陸軍や諜報部で兵役を務めました。彼らの英雄的な活躍のおかげで、二世たちは人種の壁を破り、戦後社会的地位を大きく上昇させました。
ハワイでは二世の帰還兵はその政治力を大きく向上させ、1959年には州レベルの公職に就くまでになりました。1980年代には、若い三世たちが二世と共に戦時中に収容者になされた不正行為に対して賠償を請求するようになりました。賠償運動は長期にわたる闘争になりましたが、最後には1988年に賠償法の制定につなげることができました。
今日の日系アメリカ人社会は今までになく多様化しています。コミュニティの境界線も変わり、自分で自分を日系人と定義する人も変わってきました。新たに移民してくる日本人や異人種間結婚によって人種的にも多様化してきた日系社会ですが、その強い団結に変わりはありません。(アメリカ大陸日系人百科事典/企画:全米日系人博物館より)
●10:45 打合せ会合/今後の日系人交流について
アイリーン・ヒラノ館長、ヘンリー・オオタ弁護士と我々三人との打合せ会。今後の進め方について討論されました。
●12:00 パワーランチ/博物館会議室/日本国外務省日系交流事業参加訪日LA日系人らとの会合
全米日系人博物館はすべての日系社会の中心的役割を担っているところだそうです。ヒラノ館長、オオタ弁護士を代表とし、その他に日系人訪日プログラム参加者の皆さんが会議室に集合し、意見交換の場となりました。基本的には交流を深めることが目標で、具体的な行動計画をいかにつくり上げられるかが課題となりました。
●13:30 プレスブリーフ
●15:55 ロサンゼルス空港出発(UA844)
●17:07 サンフランシスコ国際空港到着
●18:00 ホテルへ/Miyako Hotel (Nihon Machi)
●18:30 パワーディナー/North Beach Restaurant/日本国外務省日系交流事業参加訪日SF日系人らとの会合
あわただしい日程です。ロサンゼルスからサンフランシスコに到着するやいなや、夕食をとりながらの会合です。皆さん日系交流事業ですでに日本にお見えになった日系人の方々ですから、基本的にはロサンゼルスの皆さんと同じ考え方を持っており、様々な交流を通じて日米関係がさらに発展し、両国の平和と安定を求めています。特に日系人という立場にあれば日本が国際社会から非難されることをすれば、当然彼らも影響を受け、米国内で肩身の狭い思いをすることになるのですから、我々日本人にとっても、彼ら日系人にとっても目標は一緒です。
●23:00 ホテルへ
8月10日(火)
●09:30 ナパバレー視察/カズ・マニワ氏
●15:30 サンフランシスコ日本町視察/クリス・ヒラノ氏
●18:00 フィッシャーマンズワーフ視察/カズ・マニワ氏
●19:30 Oakland A's vs Detroit Tigers 観戦/Oakland Coliseum
とどめに大リーグのゲームを観戦しました。日本人のプレーヤーは出ていませんが、オークランド・アスレティックス対デトロイト・タイガースでした。スタジアム内の雰囲気が日本とぜんぜん違うことに驚きました。ネットがなく、プレーヤーと観客が近く、皆さんが各々グラブを持ってきて一緒にプレーしている一体感。天然芝と星空の見える球場。ファールが飛んで来れば、ビールを投げ出し夢中にボールを追いかける。ビールをかけられたお客もニコニコ。なんか違いますね。多いに楽しませていただきました。
●10:30 ホテルへ
8月11日(水)
●09:30 ホテル出発
●11:55 サンフランシスコ国際空港出発(NH007)/成田へ
8月12日(木)
●14:55 成田到着
≪目的≫
日本人・日本国と日系米国人との係わりについて関心を持つ日本人は少ない。しかし成熟しつつある日米関係をより強固にし国際貢献を果たすためには、わが日本人の血を受け継ぐ日系人との関係にもっと目を向け、単なる交流・懇談プログラムだけではなく、より具体的共通目的をもつアジェンダの作成が必要だ。
すでに外務省は先進国招聘制度を利用し、毎年10名ほどの日系三世訪日プログラムを実施したり、日系米国人リーダーと日本政府関係者との会合が開催されたりしている。
河野太郎衆議院議員がその窓口的役割を果たしているが、今回我々が参画したように、さらなる我が国の国会議員の参加や相互理解を深めるための活動に積極的に取組みたい。
≪ダニエル・K・イノウエ上院議員発言≫(概要・要旨抜粋)
● 日本とアメリカの関係は大変両国にとって大切なものであるが、日本はその関係を維持するための努力をしていない。
● 中国は二年前に全人代とアメリカの上院との間に公式な関係を作りたいとの申し入れがあり、アメリカ上院はすぐにそれを受けて動いている。この二年間で、北京、ワシントン、上海と米中交互に会議が開かれている。中国はアジアの大国を狙っており、日本をライバル視している。中国はアメリカが中立的な立場にいることをのぞんでいる。
● 日本の国会とアメリカ議会の間には公式な関係は何もないが、それは日本からの申し入れがないからである。
● 台湾もアメリカ議会との間に良好な関係を築こうとして大変な努力をしている。
● 日本は甘い。
● 日米の摩擦が激しくなると日系アメリカ人もそれに巻き込まれることになり、また、日米の関係を良好に維持するための努力ができるのも日系人である。
● まず、五十人ずつの核となる人物を日本と日系人のなかに創り上げていきたい。
● 上院で民主党が多数を占めるとイノウエ議員は通商委員会の委員長になる。
● 貿易問題に議会で最も発言力があるのはこの委員会であり、ホワイトハウスが対日強硬論を述べ始めても議会がどう対応するかはまた別問題である。
● また歳出委員会の軍事小委員会の小委員長にもイノウエ議員が就任することになる。
● これは日米同盟に関して非常に重要なポストである。