松本純のプロフィール

政治との出会い

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昔々のお話です。昭和33年に下記のようなことがありました。

松本純が8才のとき、
岸信介総理大臣から頂戴した色紙


岸信介総理大臣からの色紙             松本研(弟)と松本純とエボニィ

 

毎日新聞

1958(昭和33)年7月8日

写真をありがとう ≫ 岸さん、純ちゃんに礼状

≫ 色紙「明るく清く正しく強く」そえて

○…小学生から愛用の豆カメラで写された岸首相の写真と手紙を受け取った岸さんが自筆の「明るく清く正しく強く」という色紙と一緒に礼状をこの小学生に送ったという岸首相と小学生を結ぶほほえましい話。

○…この小学生は中区野毛町二-六五、松本薬局主人松本屯(たむろ)さん(三八)長男本町小二年純ちゃん(八つ)で、去る五月二十一日の昼下がり藤山外相の選挙応援演説に来浜した岸さんを桜木町駅前に見に行った際、純ちゃんは人垣をくぐって群集の前に飛出し、熱弁を振るう岸さん表情を愛用のスーパーエボニィ35でみごとキャッチ、引伸ばして送ったのが機縁となったもの。

○…「この写真はこの間ボクがとったものです。よくとれたので送ります。ボクは一生懸命勉強しますから岸さんも日本のために働いて下さい」−このいじらしい手紙とともに写真を受取った岸さんはすっかり感激。七日自ら筆をとってお礼の手紙を純ちゃんに送ったが、これを聞いた純ちゃんは“あの写真はボクの特ダネ写真だからネ”と愛機を手に大喜びだった。(記事記載通り)

 

産経新聞

1958(昭和33)年7月8日

豆カメラマンに色紙 ≫ きのう岸さんが贈る

≫ 野毛町純君の出来ばえ、愛国心に感激

衆議院選挙の応援演説にかけつけた岸さんを八つの坊やが豆カメラでパチリととらえた。この特ダネ写真をもらった岸首相、大喜びで早速自筆の色紙を坊やに贈ったというほおえまし話。

横浜市中区野毛二の六五、薬局経営松本屯さんの長男、本町小二年生純君(八つ)がこのカメラマン。選挙戦も終盤戦にはいったある日、桜木町駅前で総理大臣の岸さんが演説するというので純君もおばあちゃんや弟の研君(七つ)=本町小一年=と一しょに見物にいった。人がたくさん集まっていたけれどすばしこい純君、人垣の間をもぐり一番前に出た。それを岸さんが見つけて「ヨー」と手を(振)った(ところを)パチリ。なにせ五百円の豆カメラだし「どうせうつっていないだろう」とお父さんもいっていたが現像してみるとごらんのようなできばえ。

写真に「ぼくも一生懸命勉強しています。岸さんもお国のためにがんばってください」と手紙を添えて送った。これを受け取った岸さん、写真の腕前もさることながら坊やの愛国心にすっかり感激七日「明るく清く正しく強く」認めた色紙を発送した。色紙は八日、同君の家に届くが純君は「額に入れて勉強部屋に飾っておこう」と大喜び。(記事記載通り一部ミスプリ修正)

 

読売新聞

1958(昭和33)年7月8日

ボクのケッ作≫岸首相演説中をパチリ

≫名カメラマンぶりの純ちゃん≫手紙そえて贈る

小学2年生の豆カメラマンが自分で撮った岸首相の写真に、無邪気な手紙をそえ首相に送った。岸さんも感激、自筆の「明るく清く正しく強く」という色紙を額縁に入れ返礼するという。

○…豆カメラマンは横浜市中区野毛町二の六五薬局松本屯さん(三八)の長男本町小二年純君(八つ)。さる五月二十一日岸さんが桜木町駅前で選挙の応援演説をしているところをお父さんに買ってもらった五百円の豆カメラでパチリとやった。小さい体を利用して人ガキの中にもぐり込み一番前で豆カメラを向けた純君を見つけて岸さんはソツのない笑顔をいよいよほころばせ、自動車の上から手を振った。

○…六月の初めころ「ボクのとった写真です。岸さんも元気でがんばってください。ボクもしっかり勉強します」という手紙をつけて送った。お母さんの澄子さん(三三)の話では純君は小さいときから手先が器用、模型つくりや絵を描くのが好きで、三つぐらいからカメラをいじっていたという。「特ダネをとるんだ」と開港百年祭のときも弟の研君(七つ)と一緒にパチパチ写し、作品はアルバムに大分たまっている。純君は「岸さんはテレビで毎日見てるから知ってる人みたい。もう忘れていたのに」とさすがにうれしそうだった。(記事記載通り)

1958(昭和33)年7月8日 朝刊2面 政界メモ

岸さん、小学生にお礼の色紙

○・・・経済基盤強化資金法案を審議中の参院大蔵委員会は七日午後、岸首相の出席を求めて社会党委員が補正予算、不況対策問題で追求したが、岸さん例によってソツのない答弁ぶりで、攻める栗山良夫氏(社)も決め手がなく困っていた。業をにやした同氏、それではとばかり「そんなソツのないことでは困る。聞きたいのは経済基盤の資金を臨時国会でとり崩すのか、またはまったくタナあげしてゆくのか、イエースかノーで答えてもらいたい」と突っ込んだ。これに対し岸さん「私は幹事長や何かのように無責任なことは申し上げられない」と発言し栗山氏を軽くイナしてしまった。
 

○・・・国会の大詰めを控え社会党はこゝらで健全野党のいゝところを見せようと、七日国会対策委で、同日の衆院本会議に松平忠久氏を立てて「中小企業危機突破の緊急質問」を行おうとした。ところがこれを聞いた自民党幹部連、中小企業で先を越されてはまずいとあって、とうとう七日の本会議をとりやめさせてしまった。多数党とは何とありがたいものか。

○・・・子供好きの岸首相は七日午前横浜市野毛町に住む松本純君(小学校二年生)に「正しく、明るく、強く、優しく」【(注)正しくは「明るく、清く、正しく、強く」】との色紙を送った。これは先般の総選挙遊説で横浜に出かけたさい松本少年が岸さんの写真を撮って送ってくれたので、そのお礼というわけ。

 

杉元恒雄先生から自筆葉書を頂く

1958(昭和33)年7月9日消印

 

七月八日毎日新聞で貴君の記事を読みました。この話は一週間ほど前に藤山外務大臣からおききして居りました。本当によかったですね。一生懸命勉強して藤山外務大臣や岸総理大臣のような偉い人になり日本のために働く人になって下さい。おばあさまによろしく(記載通り)

 


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