松本純の国会奮戦記

政治への取り組み

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プロフィール

2021(令和3)年02月01日現在

衆議院議員(7期)
松本 純 (まつもと じゅん)

生年月日 1950(昭和25)年04月11日 横浜市中区生れ
本籍 神奈川県

学歴
1963(昭和38)年03月 横浜市立本町小学校卒
1970(昭和45)年03月 聖光学院中学・高等学校卒
1974(昭和49)年03月 東京薬科大学薬学部卒(大22) 薬剤師

職歴
1974(昭和49)年04月 エスエス製薬株式会社入社(〜昭和53年1月退職)
1978(昭和53)年01月 有限会社松本薬局入社(平成15年11月20日〜休職中)

地域活動
1989(平成01)年04月 横浜市立本町小学校PTA 会長
1990(平成02)年01月 ㈳横浜青年会議所 専務理事
1990(平成02)年04月 野毛大道芸実行委員会 実行委員長
1993(平成05)年05月 横浜市中区薬剤師会 会長

政治活動
1990(平成02)年06月24日 選挙)横浜市会議員中区補欠選挙当選(〜3期)
1996(平成08)年10月20日 選挙)第41回衆院総選挙初当選(〜現在7期目)
2003(平成15)年11月20日 政府)総務大臣政務官(〜平成17年11月4日)
2006(平成18)年09月29日 党)副幹事長(〜平成20年9月24日)
2007(平成19)年06月18日 党)自民党横浜支部連合会 会長(〜平成29年9月23日)
2008(平成20)年09月24日 政府)内閣官房副長官(〜平成21年9月16日)
2012(平成24)年12月27日 衆院)厚生労働委員長(〜平成25年10月15日)
2013(平成25)年10月04日 党)国会対策委員会 筆頭副委員長(〜平成26年9月9日)
2014(平成26)年09月09日 党)政務調査会 会長代理(〜平成28年08月03日)
2015(平成27)年02月26日 衆院)情報監視審査会 委員(〜平成28年08月03日)
2015(平成27)年10月13日 党)筆頭副幹事長(〜平成28年08月03日)
2016(平成28)年08月03日 政府)国務大臣(〜平成29年08月03日)
 ◆国家公安委員会委員長
 ◆領土問題担当大臣
 ◆国土強靭化担当大臣
 ◆内閣府特命担当大臣
  ・防災担当大臣
  ・消費者及び食品安全担当大臣
  ・海洋政策担当大臣
2017(平成29)年08月08日 党)国会対策委員会 委員長代理(〜令和03年01月29日)
2017(平成29)年12月08日 衆院)国家基本政策委員会 与党筆頭理事(〜令和03年02月01日)
2021(令和03)年02月01日 自由民主党離党

現在
2020(令和02)年05月01日 東京薬科大学薬学部客員教授委嘱
2021(令和03)年02月01日 衆院)国家基本政策委員会 委員

著書
「日本社会の処方箋」

趣味
ゴルフ 軽音楽(ジャズ・ベース)

家族
妻、子供男三人、母

連絡先
国会:衆議院第1議員会館302号室(東京都千代田区永田町2-2-1 TEL03-3508-7705)
地元:松本純事務所(神奈川県横浜市中区野毛町2‐65 TEL045‐241‐7800)

衆議院小選挙区
神奈川1区(横浜市中区・磯子区・金沢区)選出 無所属

政治への取り組み 「暮らし・生業・地元を守る」

2021(令和3)年

●インフルエンザ等特措法成立(2月)

緊急事態宣言下に、新型コロナ感染症のまん延を防止する法改正が行われました。


2020(令和2)年

●『日本社会の処方箋〜20年後の安心のために〜』を上梓(12月)

薬の歴史、医療制度の変遷、将来に向けた課題などについて包括的にまとめた、初めての著書が完成、発売されました。

●政策集団「志公会」事務局長として菅義偉・自民党新総裁誕生に大きく尽力(9月)

当時の舞台裏などについて取材を受け、NHK「クローズアップ現代」で放送されました。

●政策集団のセミナー「志公会と語る夕べ」をコロナ禍で開催(7月)

麻生太郎会長より実行委員長を任命される。各政策集団のいわゆる「派閥パーティー」の先陣を切って開催。舘田感染症学会理事長の指導を受け、徹底した感染症対策を取った新しい方式(セミナー形式)で開催、 終了後も危機管理体制を維持し、2週間経過後まで感染者を出さずに無事に終えました。

●横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号に医薬品を提供(2月)

薬剤師議員として、薬剤師の仲間と連携して医薬品の提供に協力しました。


2019(平成31・令和1)年

●神奈川県に甚大な被害をもたらした台風19号が「特定非常災害」に指定(10月)

菅官房長官に申し入れを行い、迅速な指定と即日施行が叶いました。これにより中小企業者への保証の特例や財政の補助などが行われました。

●台風15号で大きな被害を受けた金沢臨海部産業団地への復旧支援が決定(10月)

神奈川県、横浜市、商工団体と連携して進めた支援が決定しました。施設・設備・車両などの修理・購入に多くの補助や融資における利子を横浜市が全額負担する、といった内容になりました。

●衆議院米国政治経済事情等調査議員団・団長として海外出張(8月)

サンフランシスコ、ラスベガス、ロサンゼルス、ニューヨークなどで視察や議員外交を行いました。特にロサンゼルスでは、市議会での慰安婦像設置の決議採択の動きに対して、ニナ・ハチギアン副市長、ジョー・ブスカイノ ロサンゼルス市議会議員に「いつまでも大昔の、また地理的にも米国から遠く離れた北東アジアの歴史を取り上げて、未来に向けての発展への意欲を削いではならない、未来に向けて大きな協力を進めていくべき」との考えを伝えました。

●個人版事業承継税制がまとまる(2月)

「中小・小規模事業者の円滑な世代交代を後押しする議員連盟」会長として政府に行ってきた提言が形になりました。これにより贈与税、相続税の負担が大きく軽減されました。


2018(平成30)年

●衆議院欧州政治経済事情等調査議員団・団長として海外出張(7月)

欧州3ヶ国(オーストリア、ルーアニア、イタリア)を歴訪、特にルーマニアでは1月の安倍総理訪問でこれまでにない日本との関係強化を望んでいるとの声をいただき、訪問の様子がルーマニアで大きく報道されました。

●株式会社の事業承継税制改革が実現(4月)

会長を務める「中小・小規模事業者の円滑な世代交代を後押しする議員連盟」の要望がほぼ全て認められ、様々な条件が緩和されました。

●国対委員長代理として法案成立に尽力(1月〜7月)

第196回通常国会で内閣提出法案65本中61本が成立しました。


2017(平成29)年

●「日本創薬力強化プラン」(いわゆる松本プラン)を提言し予算化(12月)

国民皆保険制度を堅持するために、薬価を抑えつつ、創薬産業を元気づけるためのプランが厚労省・経産省タイアップで緊急政策パッケージを策定しました。

●診療報酬等改定決定(12月)

平成30年度診療報酬等改定が決定のため、各関係団体との調整を図り、本体:+0.55%、配分比率:医科1:歯科1.1:調剤0.3 の結果を得ました。

●「中小・小規模事業者の円滑な世代交代を後押しする議員連盟」を創設し会長に就任(11月)

承継時に課せられる銭負担を軽減するため、事業承継税制の見直に取り組みました。安倍総理、麻生財務大臣、岸田政調会長らに申し入れを行い、大きな改革を実現しました。

●衆議院解散総選挙(第48回衆議院議員総選挙)で7期目の当選(10月22日)

●帆船日本丸が重要文化財指定に(9月)

横浜のシンボル・帆船日本丸の保存には改修作業のための予算が必要でした。国への働きかけを行っていましたが、重要文化財に指定されたことで国の助成が受けられるようになり、予算も付きました。

●閣僚経験の後、国会対策委員長代理に就任(8月3日)

丁寧な国会運営に取り組みました。

●防災大臣、国家公安委員長など国務大臣としての職責を完遂(8月3日辞任)

 松本純国家公安委員会委員長の実績(警察) 松本純大臣の功績(内閣府防災ほか) 松本純大臣の功績(消費者庁)

●麻生派を核に三派閥の合流を実現(7月)

麻生派事務局長として各派と準備を進めました。為公会・番町研究所・天元会が発展的に解散し、新たに志公会が誕生しました。


2016(平成28)年

●防災大臣、国家公安委員長など国務大臣としての職務に取り組む(8月3日就任)

●『東日本大震災発災時の政府の初動に関する報告書』を政府に提出(5月)

東日本大震災発災時の政府の初動に関する検証チームの座長としてまとめた報告書で、「防災庁」の新設などを提言しました。

●国道357号 八景島〜大黒ふ頭間が全通(3月)

7、8年前に八幡橋・根岸周辺で交通渋滞による住民の健康被害が起き、町内会長参達の署名運動を受けて357号の整備に取り組みました。地元や横浜市の皆さんと連携して進めてきた結果の全通で、感慨深いものがあります。


2015(平成27)年

●自民党筆頭副幹事長、政調会長代理を兼務(10月)

●マイナンバー法案成立(9月)

総務大臣政務官の時に進めていた住民基本台帳カードが、現在のマイナンバーカードにつながっています。

●平和安全法制成立(9月)

国民の命と平和な暮らしを守るため、集団的自衛権の限定的な行使容認を含む本法案が成立しました。私は特別委員会理事として衆議院本会議で賛成討論を行いました。

●2017アジア開発銀行総会横浜開催が決定(5月)

横浜市長と共に財務大臣に誘致要請を行うなど、働きかけを続けた結果、招致が決定しました。横浜市は大規模な会議場や宿泊施設が整い、国際会議の開催実績も豊富なことも決定の要因となりました。


2014(平成26)年

●衆議院解散総選挙(第47回衆議院議員総選挙)で6期目の当選(12月14日)

●危険ドラッグ取締り強化(11月)

私が強く主張してきた、広告規制の強化、検査命令対象物の拡大、インターネット対策等が盛り込まれた、議員立法による薬事法の改正が行われました。

●自民党政調会長代理に就任(9月)

政府与党自民党の法案承認手続きの全てに関わりました。

●国道357号新磯子〜本牧間門開通(3月)

交通渋滞と渋滞による排ガスで健康被害に苦しむ地元の皆さんの思いを汲み上げ、要望書・署名簿を受け取り国土交通省に早期着工を求めたことが実を結びました。


2013(平成25)年

●国会対策委員会筆頭副委員長と政務調査会副会長を兼務(10月)

●消費税8%への引き上げ決定(10月)

社会保障制度の維持・拡大のため決断がなされた。

●衆議院厚生労働委員長として史上最多9法案を可決(6月)

通常国会での最多記録となる、生活保護法改正案など内閣提出9法案、再生医療推進法など議員立法3本を成立させた。残念ながら参議院での審議が進まず2法案は成立しなかった。

●脱法ドラッグ取締り強化法が成立(5月)

大きな社会問題となっていた合法ハーブなどの脱法ドラッグ、自民・公明・民主など超党派の議員立法によって成立した。


2012(平成24)年

●衆議院厚生労働委員会委員長に就任(12月)

衆議院の役員を拝命し、委員会の進行、整理、秩序の保持に努めることになった。

●衆議院解散総選挙(第46回衆議院議員総選挙)で5期目の当選(12月16日)

政権に復帰した。

●社会保障・税一体改革で3党合意(6月)

衆議院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会で、子ども・子育て支援などについて当時の政府の考えを質した。バラマキを排し社会保障制度を堅持するため議論が続けられた。

●第5回アフリカ開発会議の横浜開催決定(1月)

横浜開催に向けた超党派の議員連盟を発足し、安全で安定した環境を提供できるのは実績のある「横浜しかない」と主張し、副会長として誘致に全力を尽くした。2013年6月のTICADX横浜開催が決定した。


2011(平成23)年

●賠償金仮払い法案、ガレキ処理法案が修正協議を経て成立(7月、8月)

東日本大震災で発生した大量のがれきの処理を国の責任で行う特別措置法案、原発事故の被害者への賠償金の半額以上を国が仮払金として立替える法案、いずれも自公が提出した内容を軸に可決・成立した。

●金沢区の液状化被害への横浜市支援決定(5月)

金沢区柴町のマンションは東日本大震災に伴う地盤沈下・隆起・液状化によって駐車場などに大きな被害を受けた。当時の民主党政権では国による支援制度がなく、横浜市が液状化被害住宅等支援事業の予算を計上し、助成の仕組みを作った。

●東日本大震災被災地を訪問(3月)

自民党・副幹事長として視察に参加、自衛隊、新日本製鉄、釜石、大槌町を訪問し、現状と取組みを聴取した。

●東日本大震災発災(3月11日午後2時46分)

すぐに自民党・大地震緊急対策本部が設置され、副幹事長として対応にあたった。特に医薬品の供給に関し日本薬剤師会などと連携し、出来ること出来ないことを確認し、政府へ提言。


2010(平成22)年

●自民党厚生労働部会薬事に関する小委員長に就任(12月)

医薬品のネット販売、薬局機能、法改正など、薬事に関する様々な事案に関する議論を進めた。

●第22回参議院議員通常選挙で自民党が改選第1党を奪還(7月11日)

●自民党厚生労働部会ワクチンPT座長に就任(3月)

ワクチン産業の育成、ワクチン接種等について取り組みを進めた。


2009(平成21)年

●衆議院解散総選挙(第45回衆議院議員総選挙)で4期目の当選(8月31日)

南関東比例区で復活当選するも野党に転落。

●外交担当官房副長官として麻生総理の出張・会談に随行

・G8サミット/イタリア・ラクイア (7月)
・日韓首脳会談/東京(6月)
・太平洋・島サミット/北海道・トマム(5月)
・チェコ・ドイツ訪問(5月)
・中国・北京訪問(4月)
・ASEAN関連首脳会議/タイ・パタヤ(4月)
・G20/イギリス・ロンドン(3月)
★日米首脳会談/アメリカ・ワシントン(2月)
・日露首脳会談/ロシア・ユジノサハリンスク(2月)
・ダボス会議/スイス・チューリッヒ・ダボス(1月)
・日韓首脳会談/韓国・ソウル(1月)

●2010APEC首脳会議の開催地が横浜に決定(3月)

コンベンション・シティ横浜の実現に尽力し、世界最大の地域協力会議、APEC首脳会議の誘致が決定した。

●定額給付金政策施行(3月)

世界的な経済危機の中、様々な景気対策のひとつとして実施された。


2008(平成20)年

●外交担当官房副長官として麻生総理の出張、会談に随行

・日中韓首脳会議/福岡・大宰府(12月)
・APEC首脳会議/ペルー・リマ(11月)
★金融サミットG20/アメリカ・ワシントン(11月)

★新興国支援を目的に国際通貨基金(IMF)に対して外貨準備から最大10兆円を拠出する用意があると麻生太郎首相が表明。
麻生総理の名代として、松本純がオバマ次期大統領から代理として指名されたマデリーン・オルブライト元国務長官、ジェームス・リーチ元米下院らと会談を行った。
北朝鮮問題や金融危機を含む日米間で緊密に連携して対応すべき諸課題について、麻生総理の考えを詳細に説明し、オルブライト国務長官らは、このメッセージをオバマ次期大統領に伝えたい、と述べた。オバマ次期大統領が大統領選挙に勝利し、政権移行チームを発足させて以降、政府として初の接触という非常に重要な会談への対応をという大役を担った。

●内閣官房副長官に就任(9月)

麻生内閣の一員として、衆議院担当・外交専任の内閣官房副長官に任命された。

●河野洋平議長のフランス・イタリア訪問随行(7月)

9月にG8下院議長会議でホストを務める河野議長は、そこに出席される下院議長と「平和・軍縮」をテーマに会談した。

●骨太の方針に再生医療などの研究開発費の確保が明記(6月)

再生医療などの推進が現実的に進むよう研究開発費の確保の文言明記を提言し、それが実現した。


2007(平成19)年

●自民党副幹事長に留任(8月)

麻生太郎新幹事長のもと再び副幹事長として党務にまい進した。

●自民党横浜市連第11代会長に就任(6月)

●磯子区杉田臨海緑地着工(4月)

当初からかかわっていた、埋め立てにより砂浜が消えた磯子区に臨海緑地を創造する事業が本年度から本格的に開始された。


2006(平成18)年

●新政策集団「為公会」旗揚げ(12月)

麻生太郎会長のもと15名での新政策集団が誕生、事務局長に指名された。

●自民党副幹事長に就任(9月)

●衆議院本会議で初めての討論(1月)

国会議員互助年金廃止法案に賛成する討論を会派を代表して行った。


2005(平成17)年

●国対副委員長、社会保障制度調査会副会長、議運理事に就任(11月)

自民党、衆議院共に国会運営を裏で支える役職に就任。また党の社会保障制度調査会副会長として、社会保障制度の維持、国民皆保険制度堅持に努めた。

●郵政民営化法案成立(10月)

構造改革を断固進めるとの思いで法案に賛成した。

●衆議院解散総選挙(第44回衆議院議員総選挙)で3期目の当選(9月11日)

●野毛大道芸がNHK放送文化賞を受賞(1月)

実行委員長を務めたこともある野毛大道芸実行委員会が「第10回NHK関東甲信越地域放送大賞」に選ばれた。


2004(平成16)年

●本牧ジャンクション開通(12月)

八景島−みなとみらい間にかかる時間が約半分の18分に短縮された。

●新潟県中越地震・被災地視察(10月)

10月23日に発災、大きな被害を出した被災地を視察し、皆さんを激励するとともに今後の復興に向けた要望を聴取した。2歳の皆川優太ちゃんを救出した東京消防庁ハイパーレスキュー隊・清塚光夫部隊長からも話を伺った。

●2期目の総務大臣政務官に就任(9月)


2003(平成15)年

●総務大臣政務官就任(11月)

大臣のもと国会、政党との調整に尽力した。また「住基ネット」のシステムを構築する担当に任命され、情報漏れのない安全性について懸命に取り組む。

●衆議院解散総選挙(第43回衆議院議員総選挙)で2期目の当選(11月9日)

3年4か月を経て国政復帰を果たした。

●「まちかど政治瓦版」発行開始

再び国政に挑戦するため新たな試みに挑戦した。


2002(平成14)年

●捲土重来を期して地元を中心に活動


2001(平成13)年

●早朝街頭演説会を続けるとともに、自民党の党再生と復帰を期する会にも参加


2000(平成12)年

●衆議院解散総選挙(第42回衆議院議員総選挙)小選挙区次点にて落選(6月25日)

落選の翌日から早朝駅頭演説を開始、出直しを決意。


1999(平成11)年

●第145回通常国会

男女共同参画、チャイルドシート着用の義務、省庁再編などに関する法案が成立した。


1998(平成10)年

●宏池会を離脱、大勇会に参加(12月)

河野洋平先生を会長とする大勇会に参加。麻生太郎先生から「義理と人情とやせ我慢」の心構えを学ぶ。


1997(平成9)年

●国会活動開始

河野洋平先生のご指導をいただき議員活動がスタート、当選同期の河野太郎先生と共に宏池会に参加した。
河野洋平先生からは「自分は総理になれない自民党総裁が終わったところだ。派閥は解消すべきと主張してきたことから、ただちに自分のグループを独立させられない。仲間のメンバー16、7人いるが、宏池会の宮澤喜一先生にお預けしている。番頭格は麻生太郎先生なので指導を受けるよう。」と指示があった。


1996(平成8)年

●衆議院解散総選挙(第41回衆議院議員総選挙)小選挙区初当選(10月20日)

866票差で初当選を果たす。


1990(平成2)年〜

●横浜市会議員として地元活動に取り組む

横浜市議会議員中区補欠選挙で当選(1990年6月24日)。
3期6年の市議時代には青少年・市民スポーツ特別委員会委員長や党市連市民運動本部長などに就き、地元活動に取り組んだ。横浜市中区薬剤師会会長も務めた。


1980年代

●地元で街づくりやJCなどの活動

吹けば飛ぶような小さな薬局が生き残るには、地域の中で愛される店づくりと考え、町内会活動、薬剤師会活動、横浜市立本町小学校PTA会長、横浜青年会議所専務理事、野毛大道芸実行委員会実行委員長に取り組んだ。この野毛大道芸を通して町興しに大きく貢献したことが評価され、1998年にTOYP(人間力)大賞優秀賞を受賞した。


1970年代

●1974(昭和49)年に東京薬科大学薬学部を卒業しエスエス製薬株式会社に入社

●1976(昭和51)年に結婚、1978(昭和53)年にエスエス製薬を退職して実家の薬局経営に携わった


※政治との出会い

●1958(昭和33)年7月8日(火)、8歳の時の出来事

藤山外相の選挙応援演説に来浜した岸信介総理大臣を桜木町駅前で豆カメラで撮影、引き伸ばして手紙とともに送ったところ、岸総理から「明るく清く正しく強く」と自筆の色紙が松本純に贈られた。当時の新聞各紙にも記事として掲載され、いわば政治との出会いとなった。

 

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