松本純の海外リポート・外交

2009(平成21)年3月31日(火)〜4月3日(金)

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公務】官房副長官として麻生太郎総理大臣に随行

写真で綴る概要報告

第2回金融サミット(G20) (英国・ロンドン)

 


3月31日(火)晴れ

●1825〜羽田→ロンドン:G20会合へ総理随行

総理記者会見が終了した後、18時に官邸を出発して総理車列で羽田空港に向かい、政府専用機でロンドン・ガトウィック空港に向けて出発しました。今回の総理のロンドン出張には、与謝野財務大臣にもご参加いただいています。
ロンドンまでは約12時間30分のフライトで、機内では、ロンドン・サミットや各国首脳との会談について、改めて確認のための勉強や打合せを行いました。夏時間のロンドンと東京は時差が8時間ありますので、ガトウィック空港到着は、同じ日の23時頃となりました。その後、宿舎であるインターコンチネンタルホテルまで、約1時間かけて移動しました。


4月1日(水)晴れ

●0900〜朝食会、総理勉強会/宿舎

今日、様々な首脳会談が行われ、また金融サミットでの議論も夜から開始されます。とても忙しい一日となりますので、朝食をとりながら、また朝食を終えた後も、宿舎出発まで、忙しく打ち合わせを行いました。総理は、超多忙な一日を迎えて、いつも以上に気合い十分という様子でした。

●1000〜日韓首脳会談/ランドマーク・ホテル〜1040

ロンドンでの最初の公式な日程は、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領との首脳会談となりました。麻生総理と李大統領が顔を合わせるのは、なんと、この半年間で6回目。首脳会談も4回行っており、李大統領は、麻生総理ともっとも頻繁に意見交換を行っている首脳の一人です。私も4回全てに同席していますが、今回の首脳会談は、これまで以上に親密な雰囲気の中で、とても密度の濃いものとなりました。経済問題やアフガニスタン・パキスタン問題、北朝鮮問題などについて、つっこんだ意見交換が行われました。北朝鮮ミサイル問題については、李大統領より、「日本の上を飛び越える形で発射されるため日本は国民を守るためいかなる措置もとることができるし、韓国としてもそれを認めている」として、日本政府の北朝鮮ミサイル対策への対応に理解が示されました。

●1130〜記者ブリーフ/宿舎

首脳会談終了後、総理とは別行動をとり、急いで宿舎に引き返して、日韓首脳会談の結果について、今回総理の出張に同行されている記者団の皆さんに、政府を代表してご説明しました。北朝鮮のミサイル発射問題を中心に、多くのご質問をいただきました。記者団の皆さんを通じて、正確に会談の成果が伝わるよう、わかりやすい説明に努めました。

●1200〜駐英大使と昼食会

●1430〜日・インドネシア首脳会談/宿舎〜1515

昼食を挟んで、次は、インドネシアのユドヨノ大統領との首脳会談に臨みました。会談では、金融・世界経済の問題、北朝鮮問題、パキスタン支援国会合などについて意見交換が行われました。

●1550〜日・イタリア首脳会談/クラリッジズ・ホテル〜1620

日・インドネシア首脳会談が終了した後は、イタリアのベルルスコーニ首相との会談に臨むため、イタリアが宿舎としているクラリッジズ・ホテルに移動しました。会談は、再会を祝した両首脳の笑顔での抱擁から始まり、終始非常にうち解けた雰囲気の中で行われました。会談では、世界経済・金融問題や国際情勢について、議論が行われました。ベルルスコーニ首相からは、日本の大規模な経済対策に対する評価と歓迎が表され、また、パキスタン支援に関する日本の主導的な取り組みに対して評価が示されました。

●1630〜日英首脳会談/イギリス首相官邸〜1700

▼日英首脳会談終了後

その後、宿舎には戻らず、直接、イギリスの首相官邸(通称「ダウニング10」)に向かい、イギリスのブラウン首相との首脳会談を行いました。ブラウン首相は、今回の第2回金融サミットの議長でもあり、北朝鮮問題、アフガン・パキスタン問題など、両国の関心事項に関する議論はもちろんのこと、この後行われる金融サミットについても意見交換が行われ、金融サミット成功に向けて日英で連携して対応していくことなどについて合意しました。

●1800〜記者ブリーフ/宿舎

日英首脳会談後、総理は、チャールズ皇太子主催の「熱帯雨林プロジェクト」を説明するための会合に向かわれましたが、私は、記者ブリーフ対応がありますので、ダウニング10出発後、総理とは別行動をとって、宿舎に向かいました。宿舎到着後、超特急で準備をすませて、記者団の皆さんに、日・イタリア首脳会談、日英首脳会談の二件について、ご説明をさせていただきました。

●1930〜同行記者団との懇談会/宿舎〜2100

総理は、その後も、エリザベス女王陛下主催のレセプションや、金融サミットの首脳夕食会と、矢継ぎ早に公式日程をこなされていました。私は、記者ブリーフの時間の都合で、同行することができませんでした。その時間を利用して、今回の同行記者の代表の皆さんと、軽食をとりながら、ざっくばらんな意見交換を行う懇談を開きました。参加された皆さんからは、様々な建設的ご意見、ご指摘いただきました。これを今後の課題として、総理の外遊をよりいっそう実り多いものとできるよう頑張っていきたいと、気持ちを新たにしました。

●総理、大使ご夫妻と・・・


4月2日(木)曇りのち晴れ

●0830〜第2回金融・世界経済に関する首脳会合/エクセル・センター

いよいよ、金融サミットの首脳による全体会合が開催されます。会場となるエクセル・センターは、ロンドン郊外の倉庫群の中にありました。倉庫群は、私の地元、横浜の倉庫街と比べると少し人の往来が寂しい感じがする場所でしたが、エクセル・センターの中は、非常に立派なつくりになっていました。会議場には各国首脳と財務大臣、そしてその支援をする事務方2名しか入ることができず、その他の随員は各国に用意された作業ブースで、首脳や財務大臣をサポートするようになっていました。私も、作業ブースで他の随員の皆さんと、総理のサポートに努めました。麻生総理は、会議の直前まで、作業ブースで最後の打ち合わせを行うなど、非常に精力的に会議に臨んでおられました。

●1415〜記者ブリーフ/クラウンプラザ・ホテル

その後、サミットの午前の議論が終了したところで、同行記者団の皆さんに議論の状況についてご説明しました。私は、午前の協議が終了する前に、エクセル・センターの近くにあるクラウンプラザ・ホテルに移動して、ホテル内で会合の様子をチェックしながら、ご説明の準備をしました。多くの記者の皆さんは、エクセル・センターに入ることができないため、ロンドン市内で待機されています。そこで、今回の記者ブリーフは、クラウンプラザ・ホテル内にある、通信回線を利用したTV会議システムを通して行いました。その後、すぐにエクセル・センターの作業ブースにとんぼ返りして、引き続き総理のサポートに回りました。

●1715〜総理ぶら下がりインタビュー/宿舎〜1740

金融サミット終了後、宿舎に急いで戻って、総理は、同行記者の皆さんによるぶら下がりインタビューを受けられました。冒頭、総理より、今回のサミットの成果などについて報告をした後、質問を受け付けるという形でインタビューは進められました。サミットの成果に関する総理の評価、北朝鮮ミサイル問題、オバマ大統領との議場内でのやりとりなどについて質問が出され、総理はこれに誠実にお答えしていました。

●1745〜パン・ギムン国連事務総長との会談/宿舎〜1840

ぶら下がりインタビューが終わってから、息つく暇もなく、今度は、パン・ギムン国連事務総長と総理との会談が宿舎内で行われました。会談では、金融危機や北朝鮮問題、気候変動問題などに対し、日本と国連が緊密に協力して取り組んでいくことが確認されました。また、そのほかにも、ソマリア、パキスタン・アフガニスタン情勢などについて、幅広い意見交換がなされ、国連安保理改革についても議論が行われました。予定時間を大幅に超えて、真剣な議論が行われましたが、終始和やかな雰囲気の中で会談は進みました。

●1915〜記者ブリーフ/宿舎

会談後、パン・ギムン国連事務総長との会談の結果について、同行記者団の皆さんにご説明をしました。次の日中首脳会談までには時間があまりなかったことから、夕食をほおばりながら大急ぎで準備し、ご説明に臨みました。時間の制約はありましたが、急ぐあまり内容が不十分にならないよう、注意をしながら説明させていただきました。

●2000〜日中首脳会談/マンダリン・オリエンタル・ハイドパーク〜2045

ロンドン訪問の最後の公式日程は、中国の胡錦濤(こきんとう)主席との首脳会談となりました。総理が胡主席と会談を行うのは、今回が3回目となり、これまでに築いてきた首脳間の関係もあってか、とても和やかな雰囲気での会談となりました。会談では、日中関係、金融・世界経済情勢、北朝鮮問題などについて意見交換が行われました。また、会談の結果、麻生総理の中国訪問を4月29日から30日に行うこととなりました。

●2120〜記者ブリーフ/宿舎〜2140

日中首脳会談が終わってから、ロンドンを出発するまでは、非常に短い時間しか残されていませんでしたが、非常に注目されている日中首脳会談の結果について、記者の皆さんにお伝えしなければいけません。宿舎に着いてすぐに、バタバタと準備をすませ、速やかに記者ブリーフを行いました。ご説明を終えた時には、もうほとんど宿舎を出発する時間となっていました。

●2250〜ロンドン・ガトウィック空港発→羽田空港へ

宿舎から総理車列で1時間弱離れたガトウィック空港に移動し、23時少し前、政府専用機でイギリスを離れました。


4月3日(金)

●1820〜羽田空港着

ガトウィック空港から、約11時間30分のフライトで、ほぼ定刻どおり、3日夕、羽田空港に政府専用機で到着しました。
時差もあり、また短い現地滞在に多くの日程を詰め込んだため、疲れも少し残っていますが、休んでいる暇はありません。明日から8日までは、北朝鮮が「試験通信衛星」と称するロケットを発射すると予告している期日に当たります。国民の皆さんの安全を守ることは政府のもっとも重要な仕事です。明日からの対応に万全を期すため、空港から直接官邸に戻り、執務室で対応ぶりを確認するための会議を行いました。

▼所感

今回のロンドン訪問は、昨年11月にワシントンで行われた「金融・世界経済に関する首脳会合」の第2回会合に出席することを主目的とするものでした。麻生総理は、かねてから、現在の危機を克服するためには、金融市場対策とマクロ経済対策の、双方の側面からの取り組みが重要であると主張してこられました。今回の会合では、@需要と雇用の回復に向けた最大限の財政・金融上の措置の重要性が確認され、A新興国・途上国を支援する方策について合意が成立し、B金融システムの改革についても大きな進展が見られるなど、総理の考え方に合致する形で、大きな進展が見られました。また、新たな保護主義的な行動をとらない、という前回のワシントンでのサミットの合意を更に1年延長することも合意され、この点でも大きな成果を収めました。
総理は、会合では、日本政府の考えを明快に、また力強く主張され、会議の進展に大きく貢献されたと思います。
また、総理は、今回も多くの各国首脳と意見交換を行いました。それらの会合で、総理は、北朝鮮によるミサイル発射について、「地域の平和と安定を損なうものであり、安保理決議違反であって容認できない、仮に北朝鮮がこれを強行した場合、安保理においてしっかり取り上げる必要がある」という日本の立場をはっきりと説明し、米国、ロシア、イギリス、韓国などとの連携を確認しました。北朝鮮が発表した発射の期日が迫る中、世界の主要国の首脳との間で、こうした緊密な意見交換が行えたことは、とても大きな意味を持つものと思います。
私も、今回で9回目の総理の外交出張への同行となりました。今回も、また短い滞在日程でしたが、首脳会談などの会合の機会が多く、非常に密度の高い訪問となりました。私は、総理の会談に同席して総理のサポートを行うことに加えて、同行記者団の皆さんに対する会談結果の公式な説明(記者ブリーフ)も行っています。今回も、5回にわたって、6件の会談に関する記者ブリーフを行い、また記者団の皆さんとの懇談会も行うなど、寸暇を惜しんで業務に当たりました。目が回る忙しさでしたが、とても充実した滞在となったと実感しています。
帰国後は、すぐに北朝鮮のミサイル発射問題に関する対応もあり、また今後も外遊日程が立て込んでいるため、なかなか横浜に戻ることもままなりませんが、国民の皆さんの安全を守り、皆さんの生活の安全・安心を守るため、今後とも麻生総理を支えて、微力ながらも全力を尽くして頑張っていきます。


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