松本純の海外リポート・外交 |
2008(平成20)年11月20日(木)〜25日(火) |
【公務】官房副長官として麻生太郎総理大臣に随行
写真で綴る概要報告
APEC首脳会議 (ペルー・リマ) 11月22日〜23日 |
11月20日(木) 羽田→ロサンジェルス
●1930頃〜ぶらさがり取材/官邸
海外出張直前のぶらさがり取材には、随行副長官が侍立します。APECに向けた抱負などについて記者さんから質問がありました。
●2350〜羽田空港発→リマへ(ペルーAPEC首脳会議)
ペルー公式訪問とアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議への出席のため、ペルーを訪れる麻生総理に同行します。官邸で一日の仕事を終えた後、真夜中に羽田空港から政府専用機で飛び立ちました。今回は、麻生総理よりも先に空港に到着して、総理の到着を待ちかまえる形での合流です。これからの数日はまさに「強行軍」という日程になりますが、実り多き出張となるよう、元気にがんばってきたいと思います。
●1705(現地時間)〜ロサンゼルス空港(給油休憩)〜2005
南米までは一気に飛行することができないため、ロサンゼルスで給油を行いました。給油が終わり、機内の準備ができるまでの3時間ほど、空港内のラウンジで休憩をとりました。
11月21日(金) ロサンゼルス→ペルー
●0730〜リマ国際空港着
給油を含めて20時間以上の飛行で、ようやくペルーの首都・リマにある国際空港に到着しました。到着したばかりですが、今日の午後から、早速会談などの公式日程が目白押しです。
●1130〜勉強会/スイス・ホテル
到着後、荷物整理などを終えた後、早速、明日からのペルー公式訪問、APEC首脳会議に向けた勉強会が宿舎であるスイス・ホテルで行われました。非常に過密なスケジュールを乗り切って、きちんとした成果を挙げるため、とても緊張感のある、真剣な打ち合わせが行われました。
●1300〜内輪の昼食/リマ市内レストラン「ブルハス・デ・カチチェ」
今後の打ち合わせを行いつつ、市内のペルー料理レストランで昼食をとりました。
●1500〜日・ベトナム首脳会議〜1545/スイス・ホテル
昼食をすませた後、麻生総理は、ベトナムのチエット国家主席を宿舎にお迎えして、初顔合わせとなる首脳会談を行いました。この会談では、今年で35周年を迎える日・ベトナム二国間の外交関係をふまえて、一層活発化している両国間の交流を、さらに強化していくことに合意しました。チエット主席からは、ご自身が日本との関係を非常に重視していると繰り返し述べられ、日本のODAに対する感謝も述べられました。同席していた私も、ベトナムの日本に寄せる期待の大きさをひしひしと感じました。
●1612〜内政懇〜1633/スイス・ホテル
ベトナムとの首脳会談を終えた後、麻生総理と同行記者団との国内問題に関連する懇談会(内政懇)が行われました。記者の皆さんからは、政権発足から2ヶ月を迎える感想、第二次補正予算案提出の時期などに関する質問があり、麻生総理は、ゆっくりと言葉を選びながら、誠実に質問に答えていました。
●1820〜ペルー公式訪問・歓迎式典/ペルー大統領官邸
APEC首脳会議への出席に先立ち、麻生総理のペルー公式訪問に関連する行事が行われました。歓迎式典では、麻生総理が乗った車を何十騎もの騎馬隊がとり囲む形で大統領官邸前の広場を一周し、また麻生総理を迎えるために何発もの礼砲が広場に轟音を鳴り響かせるなど、当初予想されていた以上の盛大な歓迎ぶりに感激しました。
●1832〜日・ペルー首脳会談〜1938/ペルー大統領官邸
歓迎式典に続いて、麻生総理とガルシア・ペルー大統領との首脳会談が、大統領官邸内で行われました。会談では、日・ペルー経済連携協定(EPA)の交渉開始に向けた前向きな検討などが合意され、また日本方式での地上デジタルテレビ方式の採用に向けたペルー側の好意的な検討が表明されるなど、大きな成果をおさめた会談でした。また、北朝鮮の拉致問題に関し、ガルシア大統領からは、「自由に国境はない」「拉致された方々の一日も早い帰国を願っている」という力強い言葉もいただきました。ガルシア大統領は、非常に明るく快活な方で、会談では、出席者にピスコ・サワー(ブドウから作った地元の蒸留酒であるピスコを卵白などで割ったペルーの伝統的カクテル)が振る舞われ、私もご相伴にあずかりました。
●1938〜二国間協定への署名式、共同記者会見、叙勲式/ペルー大統領官邸
会談終了後、日・ペルー投資協定などの署名式と、両国首脳による共同記者会見、さらには、麻生総理への勲章の授与が行われました。総理に授与された勲章は、「ペルー太陽勲章金剛石付大十字型章」という、通常は元首に与えられる最高位の勲章だそうです。そのような栄誉ある勲章が日本の総理大臣に与えられたことに感動をおぼえました。
●2045〜記者ブリーフ/メリア・リマ・ホテル
一連の歓迎行事や会談の後、ガルシア大統領主催による晩餐会が開かれましたが、今回の日・ペルー首脳会談の成果について同行記者の皆さんに早急にご説明するという大事な仕事があるため、ペルー側に失礼にならないことを確認した上で、晩餐会は欠席し、同行記者の皆さんが作業をされているメリア・ホテルに向かいました。記者ブリーフでは、記者の皆さんに会談の成果が正確に伝わるように、丁寧な説明に心がけました。
11月22日(土) ペルー
●0910〜朝食・勉強会
22日は、APEC首脳会談が開催されるのに加え、この機会に集まられた各国首脳との会談も予定されているため、とても忙しい一日になります。この多忙な日程をきちんとこなしていくための準備を朝から行いました。麻生総理も非常に気合いが充実した様子で、私も一日がんばらなければ、と気を引き締めました。
●1045〜日米首脳会談〜1115/マリオット・ホテル
22日の最初の公式日程は、ブッシュ大統領との日米首脳会談です。麻生総理は、これまでも首脳会談への同席等でブッシュ大統領と面識はありましたが、総理として直接会って首脳会談を行うのは初めてでした。日米同盟の重要性の再確認、北朝鮮問題・拉致問題の解決に向けた連携の確認などがなされました。会談は、手を伸ばせばお互いに触れあうことができるほどの近さで、親密な雰囲気の中で進みました。そばでみていても、2人のフィーリングが合っていたと感じられ、大変よい会談だったと思いました。
●1120〜日米韓首脳会談〜1130/マリオット・ホテル
日米首脳会談に続いて、同じ会場に韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が加わった、日米韓3カ国の首脳会談が行われました。10分間という非常に短い会談でしたが、北朝鮮の核問題の解決に向けた3カ国の連携の必要性が改めて確認されるなど、充実した会合となりました。また、拉致問題についても、麻生総理から米韓両国の協力を求めたのに対して、両国首脳が頷きながら同意を示しました。日米韓3カ国の首脳は、いずれもビジネス界出身ということで、初めて3者で顔を合わせたとは思えないほど息のあった、テンポのよい会談でした。
●1130〜昼食はペルーでも好物ハンバーガー/マリオット・ホテル
麻生総理は13時からAPEC首脳会談、私は日米・日米韓首脳会談に関する記者ブリーフの準備と、時間に追われていたため、時間を有効に使うため、会談が行われたホテルで、あわただしく30分未満の短い時間で昼食をとりました。麻生総理はペルーでも「ハンバーガー」でした。
●1300〜記者ブリーフ/メリア・リマ・ホテル
昼食後、大急ぎで宿舎に戻り、日米・日米韓首脳会談に関する同行記者の皆さんへの説明の準備をすませた上で、同行記者団宿舎のメリア・ホテルに再び移動して記者ブリーフを行いました。どちらも日本にとって非常に重要な会談でしたので、緊張して説明に臨みましたが、記者のみなさんからの質問は予想していた以上に詳細にわたるもので、改めて日米・日米韓関係の重要性を実感しました。
●1515〜日・コロンビア首脳会談〜1540/ペルー国防省
記者ブリーフを終えてから、息つく暇もなく、日・コロンビア首脳会談が行われるペルー国防省に向かいました。ペルー国防省は、APEC首脳会談の会場であり、非常に厳戒な警備がしかれていました。車両で入るための入口を見つけるのにも苦労し、敷地内に入ってからも、敷地内専用の小型バスで移動し、2回の金属探知機での厳しいチェックを受けるなど、会談の場所にたどり着くまでが一仕事でした。
コロンビアのウリベ大統領との会談は、ウリベ大統領側からの強い要望を受けて行われたものですが、その意気込みのとおり、ウリベ大統領は日本との二国間関係、特に経済面での関係強化について、とても熱心に話をされていました。その熱意に応えるように、麻生総理も非常に真剣に議論をし、その結果、二国間投資協定交渉の開始などが決められました。
●1650〜記者ブリーフ/メリア・リマ・ホテル
首脳会談が終わった後、再び同行記者団宿舎に戻り、日・コロンビア首脳会談の結果と、この日の13時から16時すぎまで開催されていたAPEC首脳会議の第1セッションの結果について、記者の皆さんにご説明しました。この日のAPEC首脳会議では、国際金融危機などが中心議題であったため、皆さんの関心も高かったようで、とても緊張感のあるブリーフィングとなったと思います。
●1745〜総理ぶらさがり会見/スイス・ホテル
ブリーフ終了後、今度は宿舎に急いで戻り、宿舎前の庭で行われた麻生総理のぶらさがり会見に加わりました。元厚生事務次官殺害事件の犯人と思われる人物が警察に出頭した件などについて質問が行われました。
●1835〜日露首脳会談〜1930/ホテル・エル・オリバル
ぶらさがり会見の後、ロシア側の宿舎に移動して、日露首脳会談が行われました。麻生総理にとって、ロシアのメドヴェージェフ大統領とは初めての首脳会談でしたが、約一時間にわたって、非常に率直で内容の濃い意見交換が行われました。このような率直な意見交換の中で、特に、平和条約締結問題について、メドヴェージェフ大統領から、この問題の解決を次世代に委ねることは考えていない、などの発言があったことが印象的でした。会談の最後には、麻生総理から、お土産として、メドヴェージェフ大統領の息子さんが好きなドラえもんのタケコプター付きラジコンが手渡され、とてもうち解けた雰囲気で会談は終わりました。
●2012〜記者ブリーフ/メリア・リマ・ホテル
会談後、麻生総理はAPEC関連の文化行事などが催されるガラ・ディナーに向かわれました。私は、前夜に引き続き、夕食会は失礼することとなってしまいましたが、日露首脳会談という重要な会談を記者団を通じて国民の皆さんにお伝えするという責任重大な勤めを優先することとしました。この日だけで3回目の記者ブリーフで、記者団の皆さんも疲労がピークに達していたのではないかと思いますが、とても活発な質疑が行われました。
●2140〜同行記者団との懇談会〜2315/スイス・ホテル
記者ブリーフを終え、記者団の皆さんの記事作成作業が一段落したところを見計らって、同行記者団の代表者の方々と、夕食をとりながらの懇談会を催しました。皆さん、時差の中、次々と行われる会談をフォローしながら記事の作成をされているということで、ほとんど寝る間もない方も多かったようです。皆さんのご苦労をねぎらう意味もかねて、国内外の情勢や総理の外遊中の様子などについてざっくばらんな意見交換をおこないました。
途中で記念撮影のために私が中座したり、麻生総理が一瞬だけでしたが飛び入りで顔を出されたりといったハプニングもあり、楽しく有意義なひとときとなりました。
11月23日(日) ペルー
●0830〜朝食
ペルー訪問最終日を迎え、一日の動きなどを確認しながら、麻生総理や秘書官たちと朝食をともにしました。
●0920〜日・メキシコ首脳会談〜1001/ペルー国防省
この日の最初の日程は、メキシコのカルデロン大統領との二国間首脳会談です。首脳会談開催前の時間帯ということもあってか、昨日と異なり、非常にスムーズにペルー国防省内の会談場にたどり着くことができました。
会談では、二国間関係や世界金融危機、気候変動問題などの国際社会の課題について意見交換が行われました。特に気候変動問題については、かねてよりメキシコは、日本と同様に、非常に高い関心をもって取り組んできており、非常に活発で建設的な意見交換が行われました。
●1105〜記者ブリーフ/メリア・リマ・ホテル
会談終了後、早速、記者ブリーフ会場に移動して、記者団の皆さんに、日・メキシコ首脳会談の結果についてご説明しました。
●1325〜記者ブリーフ/メリア・リマ・ホテル
少し時間をおいて、改めて記者団の宿舎に戻り、一連の記者ブリーフの締めくくりとして、同行記者の皆さんに、APEC首脳会談の結果について、ご説明しました。今回の総理のペルー訪問は2泊という短い日程でしたが、これで計6回目の記者ブリーフとなりました。どのブリーフも、とても重要な会議・会談に関するものでしたので、緊張の繰り返しでしたが、何とか大過なくご説明を終えることができたのではないかと思います。
●1400過ぎ〜昼食/リマ市内レストラン「ワカ・プクジャーナ」
麻生総理がAPEC首脳の昼食会等に参加されている間、私も、市内のレストランで昼食をとりました。今回の訪問を通じて、私の動きをサポートしてくれた現地の日系三世でJICAペルー事務所の顧問も務められている添田ロドルフォさんのご紹介で、階段状のピラミッドのすぐふもとにある、テラスのレストランでペルー料理を楽しみながら、短い時間ではありましたが、ひとときの休息をさせて頂きました。
●1830〜内外記者会見/日・ペルー文化会館
今回のペルー訪問、APEC首脳会談出席を締めくくる、麻生総理の内外記者会見が行われ、私も会見に侍立しました。冒頭、総理より、今回のペルー訪問の成果を説明するとともに、元厚生次官殺害事件に関する断固たる姿勢が表明されました。その後、日・ペルー関係や今回のAPECでの成果を受けた今後のWTO交渉への日本の取り組みなどについて質問が行われました。
●1900〜日系人・在留邦人との懇談会〜1935/日・ペルー文化会館
内外記者会見に引き続き、同じ文化会館内で、ペルーに在住する日系人の代表者や、ペルーに駐在する企業関係者等の在留邦人の皆さんとの懇談会を行いました。短い時間でしたが、非常に和やかなムードの中、日本とペルーの「架け橋」としてご活躍されている皆さんと、記念撮影や歓談などが行われ、今回のペルー訪問を締めくくるにふさわしい、とてもよい懇談会でした。
また、この文化会館には、ペルーへの最初の日本人移民団が搭乗していた「佐倉丸」にちなんだ「さくらちゃん像」が置かれていました。この佐倉丸は、私の地元である横浜から出航したことから、横浜には「さくらちゃん」と対になっている「リマちゃん像」が置かれています。どちらの像も、互いの国に向かって建てられ、また握手の手を前にさしのべています。国の友好関係を象徴する、とてもすばらしい石像です。日本とペルーの110年になろうとする長い移民交流の歴史が、私の地元から発した船によって行われ、今もその記念が残っていることに、誇りを感じました。
●2115〜リマ国際空港発
すべての公式日程を終え、内輪の夕食を軽くすませた後、リマ国際空港から日本に向けて、帰国の途につきました。地球の裏側での強行日程でしたが、充実感のある訪問となりました。
11月24日(月) ペルー→ロサンジェルス
●0250〜ロサンゼルス国際空港(給油休憩)〜0550→羽田空港へ
往路と同様、ロサンゼルス国際空港に立ち寄り、約3時間の給油休憩をとりました。深夜にもかかわらず、ラウンジ横の免税店がまだ開いているのに驚きました。次は、ついに日本に向けて出発です。
11月25日(火) ロサンジェルス→羽田
●1040(日本時間)〜羽田空港着→官邸へ
給油時間を含めて約24時間のフライトで、羽田空港に降り立ちました。先週末は金融サミットのためにワシントンを訪問し、3日あけて今度は2泊6日でのペルー訪問と、かなりの強行軍でした。
▼所感
今回のAPECは、先日の金融サミットで打ち出した金融危機への対応に関する議論の結果を、アジア太平洋地域の中で共有することが最大の目的の一つでした。この点については、麻生総理は、APEC首脳会議の場で、アジア太平洋地域の金融協力の強化を強く訴え、それがAPEC首脳声明にほぼ全て反映されるなど、会議の成功に大きく貢献しました。また、貿易面でも保護主義の拡大を防ぎ貿易自由化を進めるため、世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンド交渉の年内大枠合意に向けた強いメッセージの発出を主張し、各国の賛同を得ることもできました。こうした努力の積み重ねによって、現在の金融危機を国際社会が克服し、世界経済のさらなる発展へとつながっていくことが期待されます。
また、アメリカ、ロシアなどの主要国やベトナム、ペルー、メキシコなどのアジア太平洋の重要な友好国との間で精力的に二国間の首脳会談を行い、二国間関係の強化や国際的な課題への取り組みについて、有益な意見交換がなされました。
内外記者会見で麻生総理が言われたとおり、今回のペルー訪問、APEC首脳会議への参加では、強行日程に応えるだけの成果が挙げられたのではないかと思います。先週の金融サミットに引き続き、「外交の麻生」「経済の麻生」の底力を目の当たりにし、私自身としても、非常によい経験を得られました。
今回の総理外遊への同行を通じて、官房副長官の職務は、国内にいる時と同様に海外でも非常に重責であると改めて認識し、身が引き締まる思いです。引き続き、麻生総理を支えながら、国内外の様々な課題の克服に全力で取り組んでいきたいと、決意を新たにしました。
さて出張が終了しましたが、仕事は山積です。羽田空港からただちに官邸に向かい、今日は引き続き国内での会合に出席します。