松本純の海外リポート・外交

2008(平成20)年11月13日(木)〜16日(日)

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公務】官房副長官として麻生太郎総理大臣に随行

写真で綴る概要報告

金融サミットG20 (米国・ワシントン) 11月14日〜16日

オバマ政権移行チームと初接触

 


11月13日(木) 羽田→ワシントン

●1900頃〜G20出発・ぶら下がり会見/官邸

●2000〜羽田空港発→ワシントンへ

「金融・世界経済に関する首脳会合(金融サミット)」に出席するためにアメリカのワシントンに向けて、羽田空港から政府専用機で出発しました。官房副長官として、麻生総理の外遊への二度目の同行です。

●2130(現地時間に変更)〜夕食会/(在米国大使公邸)


 リエゾン(サポート役)の大使館・大槻さん

ワシントンには、アメリカ東部時間(日本からの時差:-14時間)の19時前に到着しました。今日は会談等の日程はなく、一度宿舎であるウィラード・インターコンチネンタル・ホテルに入った後、藤崎駐米大使に、日本政府代表団一行を招いた内輪の夕食会を催して頂きました。くつろいだ雰囲気の中でも、15日の金融サミットに向けて、活発な意見交換が行われました。


11月14日(金) ワシントン

●0810〜朝食、勉強会/宿舎

今日は、ブッシュ大統領主催の夕食会までの間、二国間会談やプレスとのインタビューなどが目白押しです。麻生総理は、朝食をとりながらの打ち合わせに続いて勉強会も行い、今日の各スケジュールでの対応ぶりについて綿密な準備を行いました。

●1005〜ワシントン・ポスト紙インタビュー〜1045/ウィラード・インターコンチネンタル・ホテル

麻生総理は、ワシントン・ポスト紙のフレッド・ハイアット論説委員長およびアンソニー・ファイオラ経済担当記者によるインタビューを受けました。今回の金融サミットに向けた日本政府の考え方や方針を、麻生総理自身の言葉で熱く語られました。その模様は、15日のワシントン・ポスト紙で詳しく取り上げられました。

●1100〜日・ブラジル首脳会談〜1150/フォーシーズンズ・ホテル

麻生総理とブラジルのルーラ大統領との首脳会談に同席しました。この会談では、金融サミットのあり方や二国間関係の問題について議論がなされ、麻生総理は、国際通貨基金(IMF)等のあり方の見直しの方向性や日本の新興国支援のための1000億ドルの融通などについて説明しました。席上、ルーラ大統領より、リオデジャネイロ=サンパウロ間高速鉄道計画への日本企業の入札参加を期待する、といった話がありました。

●1224〜内政懇・同行記者団との懇談〜1302/

続いて、麻生総理が、同行記者の方々との間で内政問題に関する質疑を行う「内政懇」が行われ、私も同席しました。解散の時期や第二次補正予算の提出時期、民主党が提案した党首会談などについてやりとりがありました。また、今回は、金融サミットということもあって、経済担当の記者の方が多く同行されていますので、そういった記者の方々を加えた、いわば「拡大版」の懇談も併せて行われました。金融サミットの成果や日本の立場・役割が正確に国民の皆様に伝わるよう、麻生総理も、詳しくかつ率直に日本の方針やご自身の考え方について説明されていました。

●1330〜記者ブリーフ/ワシントン・パレス・ホテル

同行記者団との懇談が終わった後、休む間もなく昼食を摂りながらの打ち合わせを行い、総理一行と一度離れて同行記者団の皆さんの宿舎まで移動して、日・ブラジル首脳会談の結果について説明を行いました。金融サミット直前というタイミングでの首脳会談の説明であり、これまで以上に緊張しながら、正確な説明に努めました。

●1450〜日英首脳会談〜1530/在アメリカ英国大使公邸

記者ブリーフ後、急いで麻生総理と合流して、日英首脳会談に臨みました。麻生総理は、イギリスのブラウン首相と、金融サミットを直前に控えて、金融危機に対する国際的な取組みについて意見交換を行いました。麻生総理とブラウン首相との間では、多くの点で意見の一致が見られました。また、この際、ブラウン首相から、日本のアフガニスタンに対する日本の協力に感謝する、との発言もありました。予定の時間をオーバーして、非常に中身の濃い、有意義な首脳間の協議が行われました。

●1600〜日・インドネシア首脳会談〜1635/リッツ・カールトン・ホテル

日英首脳会談が延びたため、宿舎に一度戻るという当初の予定を変更して、直接、ユドヨノ・インドネシア大統領との間の首脳会談に飛んでいきました。会談では、金融危機に関する日・インドネシア両国の協力について意見交換が行われ、麻生総理からは、金融危機に対して、アジアが地域として協力し、これを乗り越える必要がある、との考えを述べられました。また、ユドヨノ大統領からは、これまでの日本によるインドネシアへの経済協力が経済発展に貢献したと、感謝が述べられました。

●1700前〜ぶら下がり取材/宿舎

今日は、内政懇、同行記者との懇談に加え、本日行われた二国間会談の内容を中心に、麻生総理自身が説明する「ぶら下がり」取材の機会も設けられました。国民の皆さんの関心が高く、非常に重要な金融サミットの直前ですので、動向がきちんと伝わるよう、麻生総理も、通常の外遊の時よりも多くの機会を設けて丁寧に説明を行おうとされています。

●1800過ぎ〜記者ブリーフ/ワシントン・パレス・ホテル

ぶら下がり取材に侍立した後、再び総理とは別行動となりました。大急ぎで事前の打ち合わせをすませて、同行記者団の宿舎に移動し、イギリス、インドネシアとの2件の首脳会談の概要と成果について、同行記者の皆さんに説明しました。

●1930〜同行記者との懇談会〜2040/

麻生総理がホワイトハウスでのブッシュ大統領主催夕食会に出られている間、同行記者団の各社代表の方々と、夕食を摂りながらの懇談会を行いました。ほとんど寝る間もなく取材活動を続けている記者の方々のねぎらいも兼ねつつ、今回の訪問での麻生総理の様子や内政問題など、幅広い内容について、ざっくばらんな意見交換を行いました。

●2100頃〜総理と大使と記念写真撮影/宿舎

藤崎駐米大使とともに記念写真を撮りました。


11月15日(土) ワシントン

●0710〜朝食・勉強会/宿舎

今日は、金融サミット。いつにもまして緊張感が漂う中、非常に詳細で打ち合わせが行われました。麻生総理も、金融サミット本番に向けて、気合いの入った雰囲気で準備に臨まれました。

●0815〜金融サミット会場入り/国立建築物博物館

金融サミットの会議場には、麻生総理、中川財務大臣とそのお2人を支える極々少人数のスタッフしか入れません。会議場の隣に設営された大型テントのような代表団作業棟で、モニターを通じて、サミットの様子を視察しました。各国代表団に割り当てられた作業スペースでは、今回の金融サミットで総理を支える日本政府代表団の皆さんが一生懸命作業を行っていました。

松本純がオバマ次期大統領陣営代表との会談へ

金融サミットの会場を途中で離れ、麻生総理の名代として、オバマ次期大統領から代理として指名されたマデリーン・オルブライト元国務長官、ジェームス・リーチ元米下院らと会談を行いました。時間・場所など非公表の会議でしたが、私からは、北朝鮮問題や金融危機を含む日米間で緊密に連携して対応すべき諸課題について、麻生総理の考えを詳細に説明しました。オルブライト国務長官らは、このメッセージをオバマ次期大統領に伝えたい、と述べていました。オバマ次期大統領が大統領選挙に勝利し、政権移行チームを発足させて以降、政府として初の接触という非常に重要な会談への対応を任され、とても緊張して臨みました。麻生総理の考えを最も重要な同盟国の次期大統領チームにお伝えするという重責を何とか果たせたのではないかと思っています。

●1400過ぎ〜記者ブリーフ/ナショナル・プレス・ビルディング

金融サミットの午前の会合の内容と、オバマ次期大統領陣営代表との会談について、同行記者の方々に説明しました。金融サミットの宣言案がほぼ固まったタイミングでの記者ブリーフであり、またオバマ陣営代表との会談が注目されていたこともあり、金融サミットで発揮された日本の具体的なリーダーシップの内容やオバマ陣営にお伝えしたメッセージの中身について、たくさんの質問を頂きました。

●1600〜麻生総理の内外記者会見〜1650過ぎ/ナショナル・プレス・ビルディング

今回の麻生総理の金融サミット出席のためのアメリカ訪問を締めくくる、内外の記者を集めた会見が行われました。日本でもその模様は生中継されました。麻生総理は、金融サミットの成果と金融危機への対応における日本の役割などについて、総理ご自身の考えについて、非常に力強い言葉でお話しされました。私も一日中走り回ってくたくたでしたが、最後まで中川財務大臣とともに記者会見への侍立を務めました。

●1940〜アンドリュース空軍基地発→羽田空港へ

金融サミットでの総理のご活躍については、様々な報道が既になされていますが、2泊という短期間の中、非常に実り多い外遊になったと思います。


11月16日(日) ワシントン→羽田

●日付変更線を超えて

帰りは14時間のフライトで、途中でオーロラを見ながらの帰国の旅でした。機内では今回の会議の整理のため多くのスタッフが事務整理に追われていました。

●2350(日本時間に変更)〜羽田空港着

2泊4日の外遊を終えて、深夜、羽田空港に到着しました。麻生総理は、過密なスケジュールであったにもかかわらず、出発から帰国まで、終始元気いっぱいに、精力的に日程をこなされました。

▼所感

今回の金融サミットは、「100年に1度」と言われるほどの金融危機に世界全体が直面する中、世界の主要国の首脳や財務大臣が一堂に会して、その対応について協議をし、危機の解決を目指すものでした。この会議は、現在の金融危機が日本の実体経済に影響を及ぼしつつある中、日本の国民生活を守る上でも非常に重要な会議でした。

今回の金融サミットに合わせて、麻生総理は、「『危機の克服』麻生提案」というペーパーを議場で配布し、基軸通貨のあり方や10年前に日本が経験したバブル崩壊とその後の再生の過程を説明しつつ、今回の世界的危機の克服のための処方箋を示しました。また、国際金融機関(国際通貨基金(IMF)など)の役割を新しい時代に即したものとし、新興国・中小国への支援などを訴えました。また、そのためにIMFへの出資の増額の必要性を呼びかけ、日本自らが率先して1000億ドルの融資をIMFに行う用意があると表明するなど、金融サミットでの議論の方向性に非常に大きな影響を与えました。

15日の会議終了後には、金融サミットの成果として、「金融・世界経済に関する首脳会合宣言」が発出されました。この中に示された対応策の中には、かねてから麻生総理が呼びかけてきた対応策が盛り込まれ、総理の国際社会での指導力の現れだと感じました。

今後、金融サミットでは、今回の宣言を受けてさらに対応策について検討と協議が重ねられ、来年4月30日までに、その実施状況などをレビューするために再び会合することとなりました。


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