松本純の海外リポート・外交

2006(平成18)年4月29日(土)〜5月7日(日)

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政務】河野太郎中東プロジェクトに参加(自費参加)

写真で綴る概要報告

UAE・ヨルダン出張報告
Japan-Arab Leadership Network  2006

【中東訪問団メンバー】

団長 河野 太郎 衆議院議員(自民党)
  松本 純 衆議院議員(自民党)
  伊藤 忠彦 衆議院議員(自民党)
  柴山 昌彦 衆議院議員(自民党)
  鈴木 馨祐 衆議院議員(自民党)
  西村 康稔 衆議院議員(自民党)
  小林 温 参議院議員(自民党)
  浅尾 慶一郎 参議院議員(民主党)
  榊原 櫻 (且O井物産戦略研究所)
  信田 智人 国際大学教授

4th&5th May 2006
Aqaba, Hashemite Kingdom of Jordan

【日程】

2006年4月29日(土)〜5月7日(日)

東京羽田空港
→大阪関西空港
→ドバイ
→アンマン
→アカバ
→アンマン
→ドバイ
→大阪関西空港
→東京羽田空港

【目的】 (河野太郎団長談)

ヨルダンのアカバで予定されていたJALNの第三回フォーラムはAIPUが一方的に会議をキャンセルし、成立しなかった。表向きの理由はAIPUの事務総長が日程の都合で参加できないためということだが、それは二ヶ月前にわかっていたことで、ブシュクシュ事務総長の不参加は残念だが、日本側は日程変更はまったくできないので、フォーラムは予定通りということになっていたはずだった。

しかし、根っこはもっと深いところにあったようだ。JALNは通訳なしで行うため、英語ができるメンバーに限定される。アラブ各国の長老議員の中には英語ができない者が比較的多いため、参加者は若手が中心になる。これがどうもあちこちで反発をかったようだ。

さらに前回の東京から、各国の代表が長々と演説をするスタイルを一切廃止して、セッションごとにテーマを決めてプレゼンテーションとフリーディスカッションというスタイルをとり、さらに小さなグループに分かれてのディスカッションというスタイルに切り替えたため、さらにAIPU事務局を含め旧世代がおもしろくなくなった。そして、アラブの会議につきものの一方的にイスラエルを非難する声明をJALNとしては出さないことにしたこともAIPU事務局を怒らせることになった。

また、各国の議員に加えて、若手の大臣や王族を加えることにも主導権を失うことに敏感なAIPUが反発した。ということで、JALNのあり方も変えていかなければならなくなった。

サウジアラビア、クウェート、バーレーン、イエメン等々のメンバーは、それでもヨルダンに来訪する予定だったが、フォーラムの中止を受けて、ヨルダン側が日本−ヨルダンの二カ国のプログラムにすばやく変更したために、その他の国からの参加が難しくなり、アンマン到着直後にその他の国に中止の連絡を入れる。


【概要報告】 (参考:河野太郎のごまめの歯ぎしり)

河野太郎議員らとJALN・中東会議参加のため、ドバイ、アンマンに海外出張

無事に帰ってきました。ホテルの予約が取れず、砂漠のキャンプでテント生活するなどハプニングだらけ。 写真も2,400枚ほど撮ってきましたが、その中から選んだアルバムを思いっ切り載せてしまいました。どうぞご覧ください。


4月29日(土)

●20:40〜羽田空港発→21:55関西空港着、●23:15〜関西空港→約11時間のフライト

夜、羽田発、関空経由ドバイへ。松本純代議士と我が事務所の中東担当アリ・イタニ同行。(太郎)


4月30日(日)

●05:30〜ドバイ着

11時間余りのフライトで無事にドバイ空港に着きました。早朝にかかわらずムッとする気温です。 太郎いわく「ドバイ入国に際してエミレーツ航空のファーストクラス、ビジネスクラスはFAST TRACKで行列にならばずに入管手続きを済ますことができる。これは成田をはじめ日本の空港でも研究する必要がある」。朝6時にホテルGRAND HYATT DUBAIにチェックイン。

●09:00〜ラウンジで朝食

一休みして9時から14階の ラウンジで朝食。榊原さんと初対面。サウジ情勢などについて話を伺いました。電話でやり取りしていたアリがアポ取り成功を知らせてきました。11時に出発してアブダビへ向かい内務大臣と面談することになりました。

●12:00〜Dr. Anwar Mohammad Gargash, Minister of State for National Council Affairs

UAEは連邦議会を再建中。半数が選挙で選ばれ、半数が任命制の連邦議会が年内にも立ち上がるはずだ。各首長のリーダーシップが強いため、連邦議会のコントロールが充分ではない。もちろん再建してもチェック機能がどの程度のものになるかは不明だが。Japan-Arab Leadership Networkの説明をして協力を要請する。(太郎)

●14:00〜アブダビ証券取引所

法整備支援の必要性がUAEでどの程度あるのか等ルール作りに興味があったため、証券取引所を訪問する。UAEの金融界は専門家の知恵を必要としていると力説されるが、日本人はあまりいないねとあっさり。アブダビ証券取引所のCOOは元ニュージーランドの証券取引所の責任者だった人物。経済法はどちらかというと英米法を中心にしているようだ。UAEには信託法もない。日本は最先端の信託法を導入するとアピールするが、日本の金融が最先端だとは思っていないようだ。中東全体でルールづくりが急務であると力説された。そのルールづくりに日本がどこまで関与できるかは、外交力だ。

●15:00〜アブダビ在住の盛正純氏のお店で

河野太郎の茅ヶ崎事務所の責任者の兄上である盛氏のお店で、情報収集。アブダビとドバイのビジネス環境の違いなどをざっくばらんに教えてもらう。

●アブダビの街並み

●17:00〜元UAE石油大臣のご自宅訪問

Belbadiグループのチェアマンで、元UAEの石油相など大臣を歴任した旧知のAhmed Saeed Al Badi邸を訪問。お茶。彼の兄が前内務大臣で、入管での指紋採取を導入した責任者で、その話をうかがう。指紋だけではなく虹彩の採取もしているそうだ。

●21:00〜夕食会とベリーダンス

夜は元在東京UAE大使と元在東京レバノン大使と夕食会。 フィッシュマーケットで、自分で選んだ魚や野菜を料理してくれるお店です。何といっても夜遅くから食事が始まるのでビックリ。腹ごしらえが終わってから近くの大衆ショーパブのようなお店に行って、ベリーダンスを初めて拝見。この踊りはトルコからやってきたそうですが、衣装などもだいぶ変わってきているのでしょうね。地元と観光客が半分くらいずつの客席は熱狂していました。


5月1日(月)

●12:00〜ハムダン・ビン・ザイード副首相面談

面談のアポが取れたとのことで朝8時にドバイのグランド・ハイアットを出発しドバイに向かいました。9時30分に役人との待ち合わせ場所のヒルトンに到着しましたが、閣議だかなんだかが延びていて2時間以上待たされました。しかし、これはご当地の常識らしい。12時ころUAEの副首相ハムダン・ビン・ザイード殿下を宮殿に訪問 しました。 JALNの運営をAIPUをカウンターパートにする方法から中東のリーダー個人をメンバーにする方法に転換する必要が出てきたため、UAEのリーダーを殿下にお願い しました。

●13:00〜経済省事務次官面談

経済省の事務次官との面談が取れました。しかし、ここでは役所があまり役所らしくなく、普通のビジネス街に他の会社と並んでのたたずまいにビックリしました。ここでは UAEの経済全般、特にGCCとのFTAについて意見交換。レバノン人のアドバイザーがぴったり寄り添っていました。

●14:00〜UAEで活躍しているエジプト人ビジネスマンとランチ

建前でなく本音でUAE経済を語ってもらう。盛氏と同様にドバイは競争が厳しくもうからない、アブダビの方がビジネスのもうけが大きいと説明してくれる。いずれにしてもドバイは物理的にこれ以上急速に成長はしにくい、と。
UAEの経済に関するうわさ話(あくまでもうわさ話)として、ドバイに建設中の一大埋め立て地パームは日本の空港と同じように沈んでいる(関空のことだが、パームが沈んでいるという根拠がなにかはわからない。)とか、UAEの株式市場の暴落はサウジアラビア人の投資家が共謀して一斉に株を売りに出たからだ(そんなことをしたら自分もやけどするだろうに)とか、今後に、三年のうちにアブダビに五十万人の中国人労働者が建設プロジェクトのために入ってくる(今アブダビで計画されているプロジェクトが全て着工されると中国企業の契約分でこういうことになるそうだ)、アブダビがバージアルアラブに対抗して建てたエミレーツパレスホテルはバージアルアラブほど上手くいっていない等々、笑いながら街のうわさ話をしてくれた。
UAEではケイタリングといえば建設労働者に出す食事をつくることで、建設ラッシュの今、実は一番もうかっているセクターだそうだ。さらに五十万人以上の雇用が増えると、労働者向けに食事を作る食堂で働く人間に食べさせる食事を作る産業が必要になる!?
UAEにはロシア資本がかなり流入しているようで、ロシア人の行くナイトクラブと中国人が行くナイトクラブが分かれているという話もある。
いずれにせよ、なんで日本人はUAEに出てこないのかと誰にも言われる。

●アブダビから一路、ラスアルハイマへ

途中で砂漠を散歩。アブダビの街をちょっと出るとこのような砂漠が広がっています。

●19:00〜ラスアルハイマ公邸へ

日の沈みかけるころ皇太子の公邸に到着しました。車を降りて驚いたのは、小高い丘の上にあるお屋敷から、周辺の町を見下ろすと360度全方向からイスラムのお祈りが湧き上がるように聞こえてくるのです。あちらこちらにモスクがあり、拡声器でお祈りが街中に流されているようです。夕焼けと地の底から響いてくるお祈りが幻想的なシーンをつくりあげていました。
ラスアルハイマの皇太子と一時間近く話し込む。ラスアルハイマの将来を一身に背負って、UAEの中でも立ち遅れていたラスアルハイマを発展させるために壮大なビジョンを語る。それと同時に中国の将来についても語る。中国共産党は日本の自民党のように派閥を導入し、コントロールされた民主主義に向けて動くだろうと語る。中国がずいぶん気になるようだ。

20:00〜今夜もベリーダンス!

夜はラスアルハイマのリゾートホテルでベリーダンスを見ながらレバノン料理に舌鼓 。水タバコにも挑戦してみました。リンゴ味などフルーツの香りのするタバコが各種楽しめるようになっています。吸わない人も周りでその甘い香りを楽しむこともできます。


5月2日(火)

●09:00〜ドバイタワー工事現場視察

ドバイに建設中の世界一の高さになるはずのドバイタワーの工事現場を見せて頂く。ドバイタワーの設備を担当する日立プラントの巴山所長が日本人一人で頑張っている。スケールの大きさにびっくりする。

●11:00〜ドバイ・ウォーターフロント事務所視察

パーム、ワールド、そしてドバイウォーターフロントの事務所を訪問。パームの工事を眺める。世界一のタワーの計画がここにもある。いったいどうなるのか。

●11:30〜バージュアル・アラブ見学

これからヨルダンに向けて移動しなければなりませんが、とりあえずドバイの象徴的なランドマーク、バージュアル・アラブを目の前に記念写真を、と言うことでそばまで行って見ました。321メートルの高さを誇り、7つ星ランクの夢のホテルと言われていることも納得。もう一度帰りにドバイに寄りますから、その時に内部を見てみましょう。

●12:30〜ドバイ空港からエミレーツでアンマンへ

14:00ドバイ発EK903便。 浅尾慶一郎参議院議員(民主党影の外相)、三井物産戦略研究所の榊原氏、国際大学の信田教授がこの便で合流。

●16:15〜アンマンに到着

16:15アンマン到着。JALNの第一回目からのメンバーであるアカバ選出の下院議員アルバドリ博士と駐ヨルダン日本大使の出迎えを頂く。 ケンピンスキーホテルにチェックイン。柴山、鈴木、伊藤の三代議士と合流。

●18:50〜 アンマン城はじめ市内を見学。ホテルで夕食。

夕焼けがとてもきれいでした。ドバイに比べると気温が低くさわやかなアンマンです。街に出るとさっそく太郎がお買い物。

お土産屋でアラビアンスタイルに!

街で人気の甘いお菓子に行列ができていました。日本には無い食感で、サクッ・グチュッ・ポワーン・甘っ!と言うような感じですかね。


5月3日(水)

●09:00〜アブドゥラー・アルハティブ外相と会談

外相はSAIS出身で、おなじくSAISの信田教授が喜んでいた。

●10:30〜王宮へ

アラブスタイルの格好で参内する。 11:00にアブドゥラー国王に拝謁、国王からヨルダンの直面する中東の状況を詳しくご説明頂く。新しいJALNのメンバーとしての名誉職をお願いする。国王の信頼が厚い友人のバセム・アワダラーが国王の補佐役に任命され、同席。ちなみに国王もジョージタウンだ。 12:00ころテレビの取材。

●16:00〜スヘイル・アルアリ計画大臣と会談

彼女も僕(河野太郎)やバセム・アワダラーがジョージタウンの学部にいたときに、大学院に在学中だった。やっぱりSAISよりジョージタウンでしょ。(河野談)

●17:30〜アブドルハディ・アルマジャリ下院議長と会談

小林温経産政務官が合流。

●19:00〜夕食で杉浦法務大臣にバッタリ

アンマンの町中の評判のアラブ料理の店に信田教授のかつての学生等も誘って非公式の夕食に出かける。 隣のテーブルでは何やら大きなディナーが、と思ったら、なんと偶然にも杉浦法務大臣がヨルダンの法務大臣と食事をしていた。この広い世界の中で法務大臣と副大臣がアンマンのレストランで隣のテーブルで食事をする確率はいったいどれぐらいだろうか。 ちなみに大臣のテーブルは公式な晩餐会なのでアルコールは一切無し。大臣の焼酎をこちらのテーブルで頂く。


5月4日(木)

●07:00〜朝刊を見てビックリ!

昨日の国王との会談が地元紙に掲載されましたが、河野太郎団長との握手ではなく、私と握手している写真が出ているではありませんか。私を河野太郎と間違えて、アラブスタイルの河野太郎は地元サイドになってしまったのかも知れません。アラビア語の記事の中身は何と書いてあるのかぜんぜん分かりません。

●09:30〜Dead Sea に向けて出発!

●10:30〜Dead Sea にて「ウォーター・ボーイズ」結成

本当にプカプカ浮いていました。

●17:00〜バセム・アワダラーに会う

国王との会談では発言は団長に限られていたため、他のメンバーが自由に意見交換できる機会ができてよかった。

●19:00〜下院副議長主催晩餐会

夜はナイフ・アルファイェズ下院副議長主催の晩餐会。公式行事だがアルコールあり。アルハティブ外相、アルアリ計画相も同席。副議長はサウジアラビアの国王の義弟だし、出席した議員の中にはザルカウィの従兄弟もいて、テーブルのあちこちで盛り上がる。 晩餐会は22:40まで続きました。


5月5日(金)

●08:15〜PETRA遺跡に向け出発

イスラムの金曜日は祈りの日。日本の日曜日にあたり、仕事は原則休みです。

●10:45〜ぺトラ遺跡見学

アルバドリ博士はアカバ出身だし、国王はアカバの開発に力を入れているということでアカバへとにかく行ってくれという要望がヨルダン側に強い。それではということでペトラを見物し、アカバに向かうがホテルが取れない。
こんな状況でしたが、ぺトラへ。全部見学したかったのですが後の日程の時間の関係で半分しか見ることはできませんでした。しかし、壮大なスケールの遺跡に驚きました。13:10に入り口に戻り、そばのホテルで昼食。14:10出発でアカバに向かいました。

インディージョーンズで馬にまたがり駆け抜けるシーンの場所

●16:00〜アカバ開発公社視察

ヨルダンがもっとも力を入れて開発しようとしているのがアカバの街づくり。

●17:00〜ワディラムの砂漠のなかのテント泊

結局宿泊できるホテルを確保することはできず、キャンプすることになってしまいました。しかし、砂漠はすばらしかったですよ。 アラビアのロレンスの撮影現場となった所らしい。到着するとまずは4WDで砂漠を走り回り、砂の吹き溜まり駆け上がり競争をしたり、夕日のベストポジションで自然の偉大さに感心したり、暗くなるとバーベキュウに舌鼓とディスコに興じ、特有の砂漠の寒さの中毛布一枚でしたたかにウイスキーをあおり、キャンプ中に響くいびきをかいて(太郎曰く)、砂だらけも気にせず思い出深い時を過ごしました。


5月6日(土)

●05:00〜日の出を見よう!

日の出を見ようと朝5時起き。しかし残念ながら山の陰になって日の出を見ることはできませんでした。昨晩大騒ぎをした宴会場には朝食の用意がしてあり、パンをかじり、6時に砂漠を後にアカバに向かいました。宿泊するつもりだったインターコンチネンタルホテルでコーヒーを飲んで、空港へ移動です。

●08:30〜アカバからアンマンへ〜09:15

●11:15〜アンマンからドバイへ〜15:00

ドバイでは夜中まで時間をつぶさなければなりません。砂漠の中のスキー場を見学したり、お茶を飲んだり、お土産を購入したり、汗臭くなった砂だらけの洋服に香をたいてもらったりして夕食の予約時間まで時間調整です。

●21:00〜夢のバージュアル・アラブで夕食

夢の世界を演出するインテリアに驚くばかりです。入り口を入ると水族館、色の変わる噴水芸術、金・原色の配色・・・

48階のレストランでシャルジャ首長国のスルタン・ビン・サウド・アルカシミ王子と会談


5月7日(日)

●02:50〜 ドバイから関空経由羽田へ

無事に帰国しました。長い旅でしたが、私にとって知らなかった中東が身近なものになりました。また、日本の国際社会における立場に大変期待が大きいことも実感しました。河野太郎団長のリーダーシップによりさらにJANLが充実してくることでしょう。またレバノンのアリも近じか母国に帰るとも言っていましたが、これらの人脈がひょっとすると世界を動かすパワーになるのかも知れません。まさに百聞は一見にしかず。なんでも見てやろう、の私の旅はこれからも続けていきたいと思います。ありがとう太郎ちゃん、アリ!


4月29日(土)曇り→5月7日(日)

●河野太郎議員らと中東会議参加のため、ドバイ、アンマンに海外出張

無事に帰ってきました。ホテルの予約が取れず、砂漠のキャンプでテント生活するなどハプニングだらけ。現在、資料整理中です。報告をまとめアップします。 とりあえず河野太郎がまとめたメモを掲載します。

【UAE・ヨルダン出張報告(河野太郎のごまめの歯ぎしりより)】

4月29日

夜、羽田発、関空経由ドバイへ。松本純代議士と我が事務所の中東担当アリ・イタニ同行。

4月30日

朝5時半ドバイ着 ドバイ入国に際してエミレーツ航空のファーストクラス、ビジネスクラスはFAST TRACKで行列にならばずに入管手続きを済ますことができる。これは成田をはじめ日本の空港でも研究する必要がある。
グランドハイアットにチェックイン。しばし休憩。
12:00 Dr. Anwar Mohammad Gargash, Minister of State for National Council Affairs
UAEは連邦議会を再建中。半数が選挙で選ばれ、半数が任命制の連邦議会が年内にも立ち上がるはずだ。各首長のリーダーシップが強いため、連邦議会のコントロールが充分ではない。もちろん再建してもチェック機能がどの程度のものになるかは不明だが。Japan-Arab Leadership Networkの説明をして協力を要請する。
14:00 アブダビ証券取引所
法整備支援の必要性がUAEでどの程度あるのか等ルール作りに興味があったため、証券取引所を訪問する。UAEの金融界は専門家の知恵を必要としていると力説されるが、日本人はあまりいないねとあっさり。アブダビ証券取引所のCOOは元ニュージーランドの証券取引所の責任者だった人物。経済法はどちらかというと英米法を中心にしているようだ。UAEには信託法もない。日本は最先端の信託法を導入するとアピールするが、日本の金融が最先端だとは思っていないようだ。中東全体でルールづくりが急務であると力説された。そのルールづくりに日本がどこまで関与できるかは、外交力だ。
15:00 アブダビ在住の盛正純氏(我が茅ヶ崎事務所の責任者の兄上である)アブダビとドバイのビジネス環境の違いなどをざっくばらんに教えてもらう。
その後、Belbadiグループのチェアマンで、元UAEの石油相など大臣を歴任した旧知のAhmed Saeed Al Badi邸を訪問。お茶。彼の兄が前内務大臣で、入管での指紋採取を導入した責任者で、その話をうかがう。指紋だけではなく虹彩の採取もしているそうだ。
夜は元在東京UAE大使と元在東京レバノン大使と夕食。

5月1日

12:00 UAEの副首相ハムダン・ビン・ザイード殿下を宮殿に訪問する。
JALNの運営をAIPUをカウンターパートにする方法から中東のリーダー個人をメンバーにする方法に転換する必要が出てきたため、UAEのリーダーを殿下にお願いする。
13:00 経済省の事務次官
UAEの経済全般、特にGCCとのFTAについて意見交換。レバノン人のアドバイザーがぴったり寄り添う。
14:00 UAEで活躍しているエジプト人ビジネスマンとランチ。建前でなく本音でUAE経済を語ってもらう。盛氏と同様にドバイは競争が厳しくもうからない、アブダビの方がビジネスのもうけが大きいと説明してくれる。いずれにしてもドバイは物理的にこれ以上急速に成長はしにくい、と。
UAEの経済に関するうわさ話(あくまでもうわさ話)として、ドバイに建設中の一大埋め立て地パームは日本の空港と同じように沈んでいる(関空のことだが、パームが沈んでいるという根拠がなにかはわからない。)とか、UAEの株式市場の暴落はサウジアラビア人の投資家が共謀して一斉に株を売りに出たからだ(そんなことをしたら自分もやけどするだろうに)とか、今後に、三年のうちにアブダビに五十万人の中国人労働者が建設プロジェクトのために入ってくる(今アブダビで計画されているプロジェクトが全て着工されると中国企業の契約分でこういうことになるそうだ。)、アブダビがバージアルアラブに対抗して建てたエミレーツパレスホテルはバージアルアラブほど上手くいっていない等々、笑いながら街のうわさ話をしてくれた。
UAEではケイタリングといえば建設労働者に出す食事をつくることで、建設ラッシュの今、実は一番もうかっているセクターだそうだ。さらに五十万人以上の雇用が増えると、労働者向けに食事を作る食堂で働く人間に食べさせる食事を作る産業が必要になる!?
UAEにはロシア資本がかなり流入しているようで、ロシア人の行くナイトクラブと中国人が行くナイトクラブが分かれているという話もある。
いずれにせよ、なんで日本人はUAEに出てこないのかと誰にも言われる。
アブダビから一路、ラスアルハイマへ。
ラスアルハイマの皇太子と一時間近く話し込む。ラスアルハイマの将来を一身に背負って、UAEの中でも立ち遅れていたラスアルハイマを発展させるために壮大なビジョンを語る。それと同時に中国の将来についても語る。中国共産党は日本の自民党のように派閥を導入し、コントロールされた民主主義に向けて動くだろうと語る。中国がずいぶん気になるようだ。
夜はラスアルハイマのリゾートホテルでベリーダンスを見ながらレバノン料理に舌鼓を打つ。

5月2日

09:00 ドバイに建設中の世界一の高さになるはずのドバイタワーの工事現場を見せて頂く。ドバイタワーの設備を担当する日立プラントの巴山所長が日本人一人で頑張っている。スケールの大きさにびっくりする。
11:00 パーム、ワールド、そしてドバイウォーターフロントの事務所を訪問。パームの工事を眺める。世界一のタワーの計画がここにもある。いったいどうなるのか。
12:30 ドバイ空港からエミレーツでアンマンへ。
浅尾慶一郎参議院議員(民主党影の外相)、三井物産戦略研究所の榊原氏、国際大学の信田教授がこの便で合流。

UAE・ヨルダン出張報告(悩み)

ヨルダンのアカバで予定されていたJALNの第三回フォーラムはAIPUが一方的に会議をキャンセルし、成立しなかった。表向きの理由はAIPUの事務総長が日程の都合で参加できないためということだが、それは二ヶ月前にわかっていたことで、ブシュクシュ事務総長の不参加は残念だが、日本側は日程変更はまったくできないので、フォーラムは予定通りということになっていたはずだった。
しかし、根っこはもっと深いところにあったようだ。JALNは通訳なしで行うため、英語ができるメンバーに限定される。アラブ各国の長老議員の中には英語ができない者が比較的多いため、参加者は若手が中心になる。これがどうもあちこちで反発をかったようだ。
さらに前回の東京から、各国の代表が長々と演説をするスタイルを一切廃止して、セッションごとにテーマを決めてプレゼンテーションとフリーディスカッションというスタイルをとり、さらに小さなグループに分かれてのディスカッションというスタイルに切り替えたため、さらにAIPU事務局を含め旧世代がおもしろくなくなった。そして、アラブの会議につきものの一方的にイスラエルを非難する声明をJALNとしては出さないことにしたこともAIPU事務局を怒らせることになった。
また、各国の議員に加えて、若手の大臣や王族を加えることにも主導権を失うことに敏感なAIPUが反発した。ということで、JALNのあり方も変えていかなければならなくなった。
サウジアラビア、クウェート、バーレーン、イエメン等々のメンバーは、それでもヨルダンに来訪する予定だったが、フォーラムの中止を受けて、ヨルダン側が日本−ヨルダンの二カ国のプログラムにすばやく変更したために、その他の国からの参加が難しくなり、アンマン到着直後にその他の国に中止の連絡を入れる。

5月2日

アンマンに到着し、JALNの第一回目からのメンバーであるアカバ選出の下院議員アルバドリ博士と駐ヨルダン日本大使の出迎えを頂く。
ケンピンスキーホテルにチェックイン。柴山、鈴木、伊藤の三代議士と合流。
アンマン城はじめ市内を見学。ホテルで夕食。

5月3日

09:00 アブドゥラー・アルハティブ外相と会談。外相はSAIS出身で、おなじくSAISの信田教授が喜んでいた。
10:30 王宮へ。アラブスタイルの格好で参内する。
11:00 アブドゥラー国王に拝謁 国王からヨルダンの直面する中東の状況を詳しくご説明頂く。新しいJALNのメンバーとしての名誉職をお願いする。国王の信頼が厚い友人のバセム・アワダラーが国王の補佐役に任命され、同席。ちなみに国王もジョージタウンだ。
12:00 テレビの取材。
16:00 スヘイル・アルアリ計画大臣と会談。彼女も僕やバセム・アワダラーがジョージタウンの学部にいたときに、大学院に在学中だった。やっぱりSAISよりジョージタウンでしょ。
17:30 アブドルハディ・アルマジャリ下院議長と会談。小林温経産政務官が合流。

アンマンの町中の評判のアラブ料理の店に信田教授のかつての学生等も誘って非公式の夕食に出かける。
隣のテーブルでは何やら大きなディナーが、と思ったら、なんと偶然にも杉浦法務大臣がヨルダンの法務大臣と食事をしていた。この広い世界の中で法務大臣と副大臣がアンマンのレストランで隣のテーブルで食事をする確率はいったいどれぐらいだろうか。
ちなみに大臣のテーブルは公式な晩餐会なのでアルコールは一切無し。大臣の焼酎をこちらのテーブルで頂く。

5月4日

朝九時にホテル発。死海へ。みんなで死海にプカプカと浮く。
17:00 バセム・アワダラーに会う。国王との会談では発言は団長に限られていたため、他のメンバーが自由に意見交換できる機会ができてよかった。
夜はナイフ・アルファイェズ下院副議長主催の晩餐会。公式行事だがアルコールあり。アルハティブ外相、アルアリ計画相も同席。副議長はサウジアラビアの国王の義弟だし、出席した議員の中にはザルカウィの従兄弟もいて、テーブルのあちこちで盛り上がる。

5月5日

アルバドリ博士はアカバ出身だし、国王はアカバの開発に力を入れているということでアカバへとにかく行ってくれという要望がヨルダン側に強い。それではということでペトラを見物し、アカバに向かうがホテルが取れない。
16:00 アカバ開発公社視察。
で、ワディラムの砂漠のなかのテント泊。砂漠はすばらしかった。

5月6日

アカバ発アンマン経由ドバイへ。
ドバイでシャルジャ首長国のスルタン・ビン・サウド・アルカシミ王子と会談。

5月7日

ドバイから関空経由羽田。


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