基本的な考え方

2003

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初心を忘れない!

 

浪人中いただいた激励や忘れてはいけない大切なこと

永田町を去って3年。
いま、自分の言葉で話したい!
(「松本純のまちかど政治瓦版」創刊号)

あの総選挙から、早いもので3年がたちました。
《サルは木から落ちてもサルだが、代議士は選挙で落ちたらタダの人》
これは、いつの時代でも政界で語られる言葉です。
私は2期目をめざした2000(平成12)年6月の総選挙で落選して、“タダの人”になりましたが、そのことによって、それまでより、多くのことを学んだような気がします。

「私は代議士になって、はたして自分の言葉で話をしてきただろうか」
学んだことで最も大きなことが、この思いです。
永田町には、「前向きに検討します」という言葉の真の意味が、「何もしません」であるということをはじめ、そこだけで通用する言葉が数多くあります。

これは話し方の問題ですが、先日、私は友人から注意されました。
ひとつは、「・・・させていただいております」という、本人は謙遜するつもりで言っていても、それを連発することでなぜか尊大に、つまりエラそうに聞こえる言い回し。もうひとつは、国会の大臣答弁でよく耳にしますが、「・・・しているところ でございます」という、ふだんの会話では絶対出てこない言い方です。

「最近、人前で話をするときに、君にもそういう言い方が多いぞ」 その友人はこう言うのです。
永田町ではあたりまえのそんな言葉や言い方に日常的に接し続けてきて、そういう言葉で話すことが、一人前の政治家になった、と勘違いするということがあったかもしれません。

そこで、再び国政に挑戦するにあたって私は最初のときがそうであったように、自分の言葉で有権者の皆さんに語りかけることから始めようと決意しました。この瓦版は、活字を通したその試みです。
お読みいただいて、ご感想、ご意見をいただければ幸いです。

 

ベースのように、基本を大切に!

私と家内の出会いを結び付けてくれたのが、ウッドベース!それはまだ高校生だった私が、慈恵医大のコンボでベースを弾いていたときでした。ひと目ボレ・・・?

当時、うちの学校では、まだ有名になる前のオフコースが、聖光際(文化祭)で大活躍 していて、ベースを担当していた鈴木康博先輩からベースを借りて遊んでいたこと が、ジャズに興味をもつきっかけでした。それ以来、ベースの魅力にとりつかれ、まだ高校在学中でしたが、慈恵医大にいった先輩にスカウトされて、いつのまにか大学生のバンドメンバーになっていたのです。

ベースは脇役です。しかも、一拍も休むことはできず、一定のリズムを刻み続けなければなりません。 ベースの音がなくなったら、全体のハーモニーは壊滅です。その上、弾きはじめる と、2、3曲で右手の人差し指と中指にビックリするほどの水ぶくれができてしまうハードな仕事です。

政治を考えても、同じように思うことがあります。 どんなに痛い、苦しい思いをしても、ひと時も休まず、コツコツと基本の音を引き続 けること。つまり、当たり前のことを、当たり前にやる。それによって全体のハーモ ニーが完成するのではないでしょうか。 私は、そんな政治を求めてゆきたいのです。

 

日本を変える。自民党も変る!

松本純を国政に! (河野太郎)

松本純さんの魅力は、なんと言っても自民党らしくないところです。以前、総裁選で誰を推すかという議論をしている中で、派閥の意向はこうだと言った先輩を睨みつけ、先頭に立って反旗を翻した松本純。遺伝子組み換え食品に関する新しい表示のルール作りをしていく中で、そういうルールは好ましくないという厚生省や農水省の幹部の声をあっさり無視して、消費者の選択に資する新たなルールを提案したいと党内の議論で言い切った松本純。

早くこの国を変えなければ間に合わない。当選回数なんかどうでもいい、大事なのは個人の能力。松本純さんと私の考え、主張はほぼ同じでした。古い体質の政治家、つまり、上の意向に従っていれば悪いようにはならない、派閥の中で汗をかけばいつかポジションがもらえる、役所とツーカーな関係を作っておけばいろいろと便宜を図ってもらえるなどというような奴とは手を切って、若手で早く旗を立てようというのが、当時、当選一回の我々の合い言葉でした。

松本純という政治家が2000年の選挙で国会に戻ってこなかったのは、我々にとって大きな痛手でした。これからの大きな政治課題の一つが年金、医療、介護といった社会保障の改革です。衆議院の厚生委員会で、自民党の社会部会で、政策通ぶりを発揮した松本純さんの能力を、今、我々若手政治家は必要としています。

ポスト小泉は、きっと亀井さんや古賀さんではなく、安倍、石原、塩崎といった松本純世代になるはずです。その誰がリーダーになっても、社会保障問題を取りまとめる専門家として松本純の力を借りたいと思っているはずです。そのためには、松本純さんを国政にしっかりと送り返さなくてはなりません。

日本の将来のために、松本純が必要です。我々には松本純が必要です。そして、松本純はあなたのご支援を必要としています。

日本の新しい時代を創るために、松本純をもう一度! (河野太郎)

 

毅然と求める!・・・平和。

安倍幹事長の誕生が示した大きな政治の変化
「いま、その戦列に――」松本純・神奈川1区支部長が語る

<私たちが、新しい時代を築きます!>

●改革の推進へ

自民党幹事長に就任した安倍晋三さんの人事が、「小泉マジック」として大きな話題になりました。

安倍幹事長は、就任後、「私が幹事長になったということが、自民党が変わったという証拠です」と語りました。今回の自民党総裁選は、これまでの「永田町の常識」が崩壊しつつあることを示しました。そんな状況の中で、いよいよ解散・総選挙が行われようとしています。

安倍さんは、幹事長就任の日が四十九歳の誕生日。その若さも当選三回というキャリアも異例です。

四〇代の幹事長就任は、田中角栄、小沢一郎、三木武夫の各氏以来四人目。当選三回は、奇しくも安倍さんの祖父である岸信介元首相と同じですが、ここに挙げた人たちは、みな幹事長以前に閣僚を経験していました。閣僚経験ゼロの幹事長は、安部さんが初めてです。

●岸首相の思い出

さて、安倍さんの祖父、岸元首相といえば、政治家としての私のルーツとも言える人です。実は私の少年時代にこんなことがあったのです。

総選挙が行われた昭和三十三年五月、八歳の私は桜木町駅前に選挙応援にきた岸首相(当時)を、産婆をしていたツネおばあちゃんと一緒に見に行きました。そして持っていった五百円の豆カメラで岸さんの写真を撮った私はそれを、「僕は一所懸命勉強しています。岸さんもお国のためにがんばってください」という手紙とともに岸さんに送りました。すると後日、岸さんから「明るく清く正しく強く」と書いた色紙が届いたのです。

もちろん、その当時から、私が政治家を志していたということはありません。ただ、そのことを報じた古い新聞の切抜きを読みながら振り返ると、後に安倍さんと一緒に仕事をするようになる自分がそのときに始まっていたような気がするのです。

●拉致事件の解決へ

安倍さんとは、安部さんが二期生で自民党社会部会長、私が一期生で副部会長という関係で、厚生関係の仕事を一緒にしました。そこで発揮した安倍さんの問題解決への固い意志と粘り強さは、官房副長官として北朝鮮による拉致事件解決に取り組んだ安倍さんの毅然とした態度と一直線につながっています。

幹事長に就任した安倍さんを「選挙の顔」と言い、小泉改造内閣を「選挙管理内閣」と言う人がいます。おおかたのマスコミもそういう見方をしています。しかし、そうでしょうか?

今回の自民党総裁選―役員人事―内閣改造を見ると、政治を動かす力が、これまでの永田町の力学から、国際的な政治経済情勢や歴史の大きな流れという、ごくまっとうなものに変わりつつあるということをひしひしと感じます。

今回の総選挙は、まさにこうした歴史的な状況の中で行われようとしているのです。

私は、安倍さんに代表される若い力とともに、その流れを確実なものにしたいと痛切に考えています。

 

真の経済再生・構造改革を!

自民党役員・内閣改造で見せた「小泉マジック」

自民党総裁選での小泉首相の再選と、その後、小泉さんが見せた自民党役員人事・内閣改造は、国民の皆さんの大きな支持を受けました。それは小泉さんが国民の皆さんがうんざりしていた「永田町の論理」に大きな風穴を開けたからではないでしょうか。

私もその渦中にいて、感じたことですが、国会の中にいると、ともするとそこで通用する常識に埋没して、社会の常識を忘れがちになります。それが国民の皆さんの政治不信・政党離れを招いているわけですが、今になって考えると、もともとそうした空気に染まらない政治家が、小泉さんだったのではないでしょうか。「変人」と言われた小泉さんですが、まさに永田町の変人こそが、社会の常識人なのです。

小泉さんは、「自民党を変える。変わらなければぶっ壊す」と言いました。そのとおり、今回の総裁選では、長らく自民党の中核であった大派閥が機能不全に陥りました。幹事長に安倍晋三さんを抜擢した人事も、国民の皆さんよりも自民党の議員自身により大きな衝撃を与えました。それを「驚天動地」と表現した議員さえいます。これまでの自民党だったら考えられない人事だったからです。

小泉さんの進める「構造改革」には、本当の明るさが見えてこない日本経済の現状から、「構造改革より景気対策を」という反対意見が根強く存在します。しかし、構造改革は、アメリカではレーガン大統領が、イギリスではサッチャー首相が、それぞれ国内に反対の声がある中で断行し、ともに経済の活性化をもたらしたものです。

その構造改革を後戻りさせてはいけない、と私は考えます。と同時に、それによってもたらされる国民の皆さんの「痛み」を和らげる努力をすることが、私たち政治に携わる者に与えられた課題だと思います。

 

専門家として、医療・介護・福祉に!

白衣 ―― それが私の政治家の原点
「安心」の実現に決意新た

ダテに白衣を着ているのではないのです。私はもともと薬剤師で父が始めた小さな薬局を横浜の野毛で経営しています。 マツモト、薬局といえば「マツモトキヨシ」が有名ですが、もちろん関係ありません。ただ、その薬局名となった人は千葉・松戸市長のとき、「何でもやる課」を創設 して全国的に注目された人ですから、物事に挑むその果敢な精神は学びたいと思っています。

さて、薬剤師として人の命、人の健康に深くかかわってきた私の政治家としての永遠のテーマは、医療・福祉・介護・年金です。ひとことで「安心」と言ってもいいと思います。これは横浜市議(3期)、衆議院議員(1期)を通じて変わりありません。

ところが、私の薬剤師としての仕事は、政治的な判断によって医療制度がしばしば変えられ、患者さんの自己負担率が増減します。そして、その議論は結局は、高福祉高負担の「大きな政府」を選ぶか、低福祉低負担の「小さな政府」を選ぶかに行き着きます。

スウェーデンなどの北欧各国は前者であり、自立・自己責任を求めるアメリカは後者。その中間に中福祉中負担の国であるイギリスがあり、現在の日本もこのタイプといえます。

今、日本は大きな財政赤字に苦しんでいます。それが医療の自己負担を高める原因になっているわけですが、私は、互助精神に富む日本は、独自の中福祉中負担型を目指 すべきだと考えます。そして、世界一の長寿国を築き上げることができた日本にしかない制度「国民皆保険制度」を堅持していくことが大切だと思います。

私は、前回の衆議院議員時代に介護保険制度を創った責任者としての誇りを持って、 さらに「安心」に取り組んでいきたいと決意を新たにしています。


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