松本純の海外リポート・外交

2009(平成21)年5月22日(金)〜23(土)

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公務】官房副長官として麻生太郎総理大臣に随行

写真で綴る概要報告

第5回太平洋・島サミット (北海道)

 


5月22日(金)曇り 太平洋・島サミット

●1020〜羽田空港発(政府専用機)→帯広空港〜1200

閣議終了後、麻生総理は韓国の韓昇洙(ハン・スンス)国務総理との面談、ズン首相との日越首脳会談を矢継ぎ早にこなしてから、官邸を飛び出して羽田空港に向かわれました。私も、閣議の後、国対正副に出席してから、総理に合流し、ばたばたと官邸を後にしました。
羽田空港から、第5回太平洋・島サミットが開催されるトマムに近い帯広空港までは、1時間半強。水平飛行の時間が30分ほどという、あっという間のフライトでした。

●1450〜太平洋・島サミット参加国との首脳会談@/宿舎

14時過ぎに宿舎である「アルファ・リゾート・トマム」に到着しました。ここでも、トマムの地元の皆さんがホテル前に大勢いらっしゃり、総理の到着を歓迎してくれました。特にお子さんたちが多く、皆、「麻生さーん!」と大きな声で歓迎してくれ、総理もお子さんたちと嬉しそうに満面の笑顔で握手です。また、ホテル前には、高さ150cmの雪だるまが2つ、私たちの来訪を迎えてくれました。同じ宿舎に宿泊されている太平洋の島々の方たちは、雪だるまにびっくりされたのではないでしょうか。

宿舎到着後は、昼食もそこそこに、早速、手短に勉強会を行った上で、今回の島サミットに参加されている各国首脳との首脳会談が4件、矢継ぎ早に行われました。それぞれ10分強の非常に短い会談でしたが、太平洋の島々が大きな影響を受けている地球温暖化問題や世界経済・金融問題、さらには各国が直面する様々な問題に関する経済協力のあり方などについて、非常に中身の濃い意見交換が行われました。

▼1450〜日・ソロモン首脳会談/宿舎

▼1510〜日・サモア首脳会談/宿舎

▼1525〜日・ナウル首脳会談/宿舎

▼1540〜日・ツバル首脳会談/宿舎

●1630〜第5回太平洋・島サミット(第1セッション)/アルファ・ビレッジ〜1800

二国間会談終了後、急いでバスに乗り込み、宿舎と同じアルファ・リゾートの敷地内にあるアルファ・ビレッジに移動して、今回の北海道訪問の目的である「第5回太平洋・島サミット」を開催しました。

まず、今日は、今回のサミットの共同議長である麻生総理とニウエのタランギ首相から開会の辞が述べられ、その後、サミットの一つ目の柱である「気候変動問題」について、議論を行いました。各国首脳などからは、地球温暖化問題は、深刻な問題と言うだけでなく、生存に係わるほどの、いわば人権問題である、そしてこの問題を解決することは「人類の道徳的義務」である、など、とても真剣な意見が多数述べられました。

非常に真剣で実りある意見交換となり、セッションの最後には、この協議の成果をまとめた「太平洋環境共同体宣言」と題する文書が採択され、対外発表することが決定されました。

●1815〜太平洋・島サミット参加国との首脳会談A/アルファ・ビレッジ

第1セッションを終えた後、会場内の二国間会談場で、今回のサミットに参加している諸国の首脳との二国間首脳会談の続きが2件行われました。

▼1815〜日・マーシャル首脳会談

▼1835〜日・トンガ首脳会談

●1900〜記者ブリーフ/ザ・タワー

マーシャル、トンガとの首脳会談の後、総理一行は一度宿舎に戻られました。私は、これまでと同様、太平洋・島サミットの内容について、政府を代表して記者の皆さんにご説明する記者ブリーフを行うという任務がありますので、一行と離れて、記者団が宿泊している、アルファ・リゾートの敷地内の「ザ・タワー」に移動しました。次の晩餐会までに時間が非常に限られていましたので、かなり駆け足でのご説明になってしまいましたが、丁寧な説明を心がけました。

●    1930〜総理主催晩餐会/ニニヌプリ・レストラン〜2130

今夜は、総理の主催により、サミットに参加されている首脳のご夫妻を招いた晩餐会が催されました。私のテーブルには、ソロモン首相ご夫妻、キリバス大統領ご夫妻、ツバル首相、そして今回のサミット開催地である北海道の釣部道議会議長が参加されていました。皆さん、とてもおおらかな方々で、また話題も豊富でしたので、とても話が盛り上がりました。

また、晩餐会の最後には、開催地・北海道の文化を紹介する催しがありました。帯広の「平原太鼓」の演奏や「よさこいソーラン」の演舞が行われ、迫力のある太鼓の響きと華麗で力強いよさこいソーランに、会場からは割れんばかりの大拍手が巻き起こりました。


5月23日(土)トマムは雨 太平洋・島サミット

●0815〜朝食兼打ち合わせ

今日は、朝から昼過ぎまで会議が続く多忙な一日となる予定です。海外、国内問わず、総理の出張は毎回そうですが、行事毎にゆっくりと打ち合わせをするという時間の余裕もありませんので、朝食の時間は重要な打ち合わせ時間となっています。私もご一緒し、今日一日の動きやサミットでの対応振りなどにつき、朝食を摂りながら打ち合わせを行いました。

●0900〜第5回太平洋・島サミット/アルファ・ビレッジ〜1220

昨日に引き続き、第5回太平洋・島サミットの第2セッション、第3セッションの協議が行われました。

▼0900〜第2セッション(人間の安全保障)〜1035

「人間の安全保障」に関する第2セッションでは、現在の世界経済・金融危機の下で観光収入や海外からの送金の減少といった苦しい状況に置かれている大洋州諸国における様々な脆弱性の克服について議論が行われました。特に、水供給問題や災害対策については、麻生総理から海水淡水化設備の供与による支援策や「自然災害保険メカニズム」などの協力策を説明し、各国から高い評価を得ました。

▼1050〜第3セッション(人と人の交流)〜1210

人的交流に関する第3セッションでは、麻生総理から、日本と太平洋の島国との間の「人と人との関係」を強化するための政策パッケージである「キズナ・プラン」が紹介され、日本と大洋州諸国との間で「太い」「新しい」そして「強い」キズナを築いていくための各種の具体策を説明しました。これに対しても、各国から「キズナ・プラン」を高く評価し、日本のイニシアティブに感謝するとの発言がありました。また、運輸能力の向上、スポーツ交流を通じた人的交流、観光、漁業といったテーマについても、活発な議論が交わされました。

▼1210〜閉会セッション〜1220

最後に、麻生総理から、議論の締めくくりとして、太平洋の島国に対し、今後3年間で500億円の支援を行っていくことを表明し、今後3年間のパートナーシップの基礎となる「北海道アイランダーズ宣言」が採択されました。そして、最後に、共同議長であるタランギ首相からも締めくくりの発言があり、今回の太平洋・島サミットは、各国首脳による、日本の協力への感謝を示す賞賛の拍手の中で閉幕しました。

●1245〜共同議長による記者会見/VIZスパハウス〜1310

第5回太平洋・島サミットを終え、共同議長より、会議での議論を総括する共同記者会見が行われました。打合せ絵を終えて会見会場に移動すると、会場は大きな造波装置のついたプールを背景にしており、日本と海外からの多くの記者団の皆さんを前に行われました。

総理からは、日本と太平洋の島国との協力のさらなる進展と双方の関係の一層の強化について、力強い発言がありました。

●1350〜記者ブリーフ/ザ・タワー

既に、サミットの成果に関する共同議長による発表が行われた後ですが、サミットでの議論がどのようなものであったのかについては、さらに詳細に記者団の皆さんにご説明しなければなりません。私は、その説明の任を負っていますので、昨日同様、再度総理一行から離れて、記者ブリーフを行いました。総理一行の宿舎出発まで30分を切った中での記者ブリーフとなり、またしても、かなり駆け足でのご説明となりました。記者団の皆さんも大変だったのではないかと思います。記者ブリーフを終えて、私は、総理一行が出発準備をしている宿舎に飛んで帰りましたが、出発10分前にギリギリセーフで、車列の随員バスに飛び乗りました。

●1520〜とかち帯広空港発(政府専用機)→羽田空港着〜1705

その後、一行の車列は宿舎を出発し、とかち帯広空港に向かいました。その車中で、食べ損ねていたお弁当にやっとありつくことができました。毎度のことですが、出発はいつも時間との闘いでバタバタとしてしまいます。帯広空港から羽田までのフライトは、またまたあっという間に過ぎてしまいました。

▼所感

「太平洋・島サミット」は、今回で5回目となりました。16の太平洋諸島フォーラム(PIF)加盟国・地域の首脳・代表が一堂に会し、日本との協力について議論を行う、大規模で重要な会議です。晩餐会でのお話などを伺うと、太平洋の島国の皆さんは、太平洋に隔てられていることもあって、なかなか皆が集まって顔を合わせるような機会は多くないとのことでした。そのような意味からも、このように首脳レベルが一度に集まる会合の機会を設けるだけでも、大きな意味があるのだと思いました。

今回のサミットでは、気候変動問題、人間の安全保障、人的交流という3つの柱について、2日にわたって議論が行われましたが、いずれも、非常に真剣な、そして活発な議論となりました。特に気候変動問題については、太平洋の島国の中には、ツバルやキリバスのように、温暖化による海面上昇で国が海面下に沈んでしまうかも知れない、という深刻な脅威に直面し、まさに生存の問題に苦しんでいる国があり、時に身につまされるような、本当に深刻な問題提起が多くなされました。気候変動問題については、ついつい、温室効果ガスの排出削減量を巡る主要国間の外交的な駆け引きに目が向きがちですが、太平洋の島々の住民の方にとっては、そのような外交ゲームにかまけていてはいけない、というほど目の前に迫った脅威があるのだと、実感しました。

また、そのような深刻な問題があるにも拘わらず、太平洋の島国の首脳たちは、とてもおおらかで明るく、現在の脅威と戦いながらも未来に強い希望を抱きながら、真剣な議論を行われていました。その様子にとても強い感銘を受けました。

日本と太平洋の島国・地域は、それぞれ、太平洋に隔てられているだけでなく、太平洋から恩恵を受け、ともに太平洋の恵みの中で国を造り、支えてきました。「我々は『太平洋の子供たち』だ」と、ある首脳が会議の中でおっしゃっていましたが、まさに日本と太平洋の島国・地域は、太平洋を共有して発展を目指していくべき「共同体」なのだとおもいます。そして、そのような意味からは、今回の太平洋・島サミットは、「We are islanders」というスローガンに表れているとおり、今後とも共に発展を目指していくという力強い宣言を発出し、大きな成果を得ることができた会議であったとの確信を強く持ちました。


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